超メモ帳(Web式)@復活

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統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」←喋るぞ僕は。

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スーパーで「海人」を見つけてね、堪能しているところさ。



年金が入ってね、ちょっとだけ自分にご褒美しているところさ。↑ほどスーパーでは高くない。720mlボトルで700円ぐらい。


普段は「残波 黒」なのさ。「残波」と比べると「海人」は香りがマイルドだね。銘柄名のイメージほどのワイルドさはない上品な泡盛さ。「海人」はまさひろ酒造だからある程度は流通あるけど、どこでも手に入るって銘柄って訳でもないね。


芋焼酎とか日本酒とかウイスキーとかの洋酒とかなんでも好き嫌いせず飲む僕ではあるが、やっぱウチナーンチュは泡盛がナンバーワンさ。岡山で働いている時も沖縄から泡盛送らせて飲んでたからね。内地でも泡盛を手に入れることはできるのさ。軽くネットで漁った所では「瑞泉」とか「久米仙」が東京のコンビニにあるんだって。岡山で酒屋に行くと泡盛は一応、あったのよ。だけど、これが名前が訳わからん銘柄でな、ひょっとしたら内地で醸造された泡盛なのかもしれん。僕は見かけたことはないんだけどアサヒビール醸造している泡盛で「島思い」ってやつもあるんだってさ。まぁ新酒でしょうねー。泡盛は甕仕込みで貯蔵すればするほど味わい深くなるという特徴がある。ワインと一緒だ。ビンテージ物もあるんである。戦前の泡盛とか言うと洒落にならん価値がある。沖縄は戦争があったからね、何もかもが一回ふっ飛ばされてるんである。こんなん見つけた。


www.shikinashuzo.com


首里の識名酒造に150年ものの泡盛があるんだってさ。公式の記録に残るものではこれが最古なんじゃないかな?多分、家が立つぐらいの値段するぞ。なんかさ、古酒の品評会みたいな、各々が家に伝わる秘蔵の古酒を持って集まって飲み比べをする集いがあるんだってさ。そこで聞けばもっと古い古酒もあるかもしれん。首里あたりの酒造所に聞きに行けば詳しいことが分かるだろうが、その集いは経営者とかのハイ・ソサエティの人々の趣味の集まりらしくてな、そもそも参加費用が凄く高いらしい。僕も存在の噂を聞いたことがあるだけである。流石にそういう高雅な趣味の集まりに参加するほど枯れてはいないかなぁ。


ま、僕は流通している銘柄をちょろっとかじるだけで満足さ。古酒を集めて喜ぶようなオッサンみたいな趣味は持ってないさ。来週は「くら」あたりでも買ってくるかね。ちと高いんだが、あれは親父が好きな銘柄だったな。


さて、本題に入るか。微妙に喋り足りない気がするな。今日の本題は酔っ払って寝っ転がって寝ているうちに、ブログ書かなきゃと思い立って、頭に浮かんだヨタを書き散らしているだけである。まぁ、基本的にこのブログのエントリーってのは30分程度でいつも書き上げている。思いついた言葉をキーボードに叩きつけて2000字程度を殴り書いて自己満足しているだけである。それでも思うのさ、僕は極めて言論の浅い部分をフラフラと彷徨っているけど深い内容を語ろうとする時、言葉では説明できない領域があるのではないか?と。


ウィトゲンシュタインなる哲学者がいる。その人が哲学を語る時に「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」ということを言った。


breathein.html


僕も全然意味はわかんないんだけどな。高校時代は哲学青年だったんだけど、基本的に僕の哲学知識ってのは「ソフィーの世界」とか「文学部唯野教授」とかの受け売りを口走ってるだけで内容は全く無いのよ。それなりに哲学キーワードとかは知っているんだけど、その本質を知っているかというと、全然。だからこのヴィトゲンシュタインの文句に関してもアフォリズム的に格好いいなぁとは思いつつも、語り得ぬものがなんなのか?とか、どういう考察の末に沈黙しなければならないのか?とかはさっぱり分からないのである。そして、僕はわからないままにブログで取り上げて語ろうとしているのである。ちょっとでもものが分かっている人ならば「最低」と吐き捨てる行為だろう。だが、僕はやる。


ちょろっとこの言葉の意味を読んでみたんだけどさ、この言葉が形而上学を超える行為なんじゃないの?メタ的な視点というかさ。そもそも僕の哲学ってのは、「万人がいれば万人の世界観があり、そこを言葉で情報が行き来しているだけで完全な世界の共有は不可能」という考え方なのである。分かりやすく言えば、「真実は一つだけだけど、現実は見た人の数の分ある」というような考え方。スキームも固定していない断片的な言葉だけでどれだけ哲学を語れるか?とは思うけど、僕は居酒屋哲学にも真実はあるという立場なのである。自分の頭で哲学を考えれば、それは全て哲学だというゆるゆるの視点なんである。多分、本格的に哲学やっている人には怒られるだろうなぁ。でも僕は語るのである。一言のアフォリズムで〆よう。「口をふさがれるなら死んだほうがマシだ」。

カリスマ性ってなんだろう?まぁ少なくとも僕にはないのだが。

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はてなブログを使っている人にしか分からない話をするけど、「購読中のブログ」では右サイドバーで「こんなブログもあります」っておすすめブログをレコメンドしているじゃん?あれってどういう基準で選んでいるんだろうな?協調フィルタリングみたいなアルゴリズムでも組んでるのかな?と思ったのだけど、どうも手作業で選んだブログを全ユーザ共通で掲載してるっぽい。だとすると、どういうセンスなのか選者の趣味を疑う。新しくブログを作ったばかりのユーザーを選んでいるっぽいんだけど、選ばれた人には失礼ながら「記事作りのセンスが微妙。今後絶対ブレイクすることはないだろうなー」と思えるブログばかりなのよ。ここ最近ちょっとヲチしてたら、連続してスピリチュアル系ブログばかりが並んでいた。うーむ、中の人はスピリチュアル信者なんだろうか?意識高い系とかの自己啓発ブログも多いな。ちょろっとこのキーワードで検索してみたら選ばれたブログの感想エントリーなんかが見つかるんだけど、結構、流入が凄いらしいですな。普段、一桁のアクセス数しか無いブログでもここに選ばれると100アクセスぐらいにはなるみたいです。また、読者数が一気に増えるらしいんですわ。僕も選ばれたいなぁ。ここでヨイショしておけば発見してもらえるんだろうか?お願いしますよ運営様 m(_ _)m


今日の本題は微妙に前置きとリンクしているのかな?最近、はてな内で人気のブロガーなんかを選んで読者登録して読んでいるんだけど、彼らと僕には超えることが出来ない彼我の差がある。中には「なんでこんな奴が……?」みたいなクソつまらんブログもあるんだけど、そういうやつでも人気ブロガーは共通して持っている精神性みたいなものがあるとおもうのさ。今日はそのあたりをツラツラと推察していくのさ。


人気ブロガーと呼ばれる人たちには共通する項目みたいなものがある。例えば。

  1. 文章が面白い。
  2. 適度にフォントいじりや写真を挟んでいて可読性が高い。
  3. 更新頻度が高い。少なくとも週に2~3度。できれば毎日。
  4. 作者のキャラ設定が適切。外野が弄りやすい。Twitterと連携していることが多い。
  5. 適度に互助はてブなんかもやったりしてる。人気ブロガー同士は仲良し。
  6. アフィとかアクセスアップになんかポジティブ。


なんだろうなー、書いていて卑屈になりそうだ。どうもさ、ある程度人気があるブロガーってのは文章がうまいだけではなくて、営業もちゃんとやっている人たちばっかりらしいのさ。勘違いしてはいけないのはこの人達とプロブロガー人種は違う。プロブロガー人種は検索流入ばかり狙って書いていて、月100万PVとか言っているブログでもPRエントリーばっかで読んでいても面白くない。たまにオピニオンとか言ってうっすいポエムを掲載するが、そこから推し量れる人生経験とか人格のレベルも極めて低くて辟易する。あれはネットワークビジネスのそれですよ。彼らがブログと言っているものをアムウェイと取り替えてもなんの違和感もない。僕のブログの粘着質な文章を読む読者諸氏なんかは絶対引っかからないと思うが、アクセスアップとかSEOとかを学ぶためにブログセミナーなんかに行ったり、「ブログで自由に生きる」系の本を読むのはこんな連中の思う壺なので最大限警戒しよう。プロブロガーが書いたクソ高いnoteなんかを購入したりするのもどツボである。僕の経験上、アクセスアップとかアフィリエイトの使い方とかはweb上に全部無料で情報は転がっている。この手の情報商材に金を出して買うものではない。いやはや、僕もこの手の情報商材とかメルマガを面白半分で集めているんだけど、無料で集められる情報以上の内容はないよ。Google先生と仲良くして念入りに深く検索していたら分かることばかりだ。


プロブロガー人種と人気があるブロガーは微妙に相関関係があるけど完全に一致しているわけではない。プロブロガー人種はそもそも内容がない。あれは虚業である。ただ検索流入を集めてアフィリエイトを踏ますだけの仕事である。人気があるブロガーも検索流入を集める方法とかは知っているけど、そこには書くことへの信念らしきものがあってアフィに魂まで売っていない。なんつーかさ、カリスマ性らしきものがあるのさ。


カリスマ性ってやつは、自分の想いで多くの人を惹き付ける事が出来る能力さ。そして、周りの人の思惑でいちいち動揺しないっていうのも挙げられるかな?そもそもそういう人は書くことに対して主張ありきで書いている。その主張が魅力的だから読んでいても面白いんである。本来、多くの人に読まれる人気のあるブログってのはそういう集合知があると言われていたんだけど、どうも性善説に過ぎる主張だったようだな。「ウェブはバカと暇人のもの」というのが結果的に証明されつつあるようだ。悪貨は良貨を駆逐する。ま、僕は何年経ってもwebの片隅で戯言を呟いているだけの暇人ですよ。

僕はカネのことは嫌いじゃないのだが、あちらさんは僕を嫌いらしい。

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最近の北朝鮮騒ぎは沖縄県民にとっては洒落にならん事態である。日本でミサイルが一番飛んでくる可能性が高い地域は沖縄だろう。一説によると嘉手納基地には巨大な核シェルターがあって、攻撃を受けた時は軍関係者は逃げ込める用意がしてあるとの事だが、連中は一般人は見殺しだろう。名護にオスプレイを落っことしたときも「操縦士の腕で市街地への被害は免れた、感謝しろ」との言い草である。米軍はこんな態度が平常運転なので怒りを通り越して冷静になれるのだが、本当に沖縄にミサイルが飛んできたらどうしようかという心配がある。自衛隊がPAC3を用意してあるだろうが、あれは精度が低いらしいね。大体、アメリカがシリアを攻撃した時に60発巡航ミサイルを打ったが、目標に当たったのは20発程度だってさ。アメリカのミサイルでその精度なので、北朝鮮の発射するミサイルなんてそれこそどこに飛ぶのか分からない。正確に嘉手納とか普天間の基地を狙うならともかくさ、民間の市街地に落っことして「間違っちゃった、テヘペロ☆」とかの発言されたら「北朝鮮はドジっ子だなぁ」とは思わない、明確に殺意を持って「ぶっ殺すぞ」と返す。こんな時のために米軍がいるじゃないかとか内地の人は言うかもしれんけどさ、アイツらは本当に凄いレベルで沖縄県民を軽視していて逆に安心して敵視できる存在なんである。僕は沖国大へのヘリ墜落事故の時に現場近くにいたんだけどさ、米軍は何の権限があるのか知らんけど緊急時に警察とかを排除してロックアウトを始めたりするぞ。米軍基地への攻撃なら撃ち落とそうとするかもしれないけど、民間の市街地だったら見捨てる可能性も無きにしもあらずである。ムカつくのは米軍だけではなく、他人事で大騒ぎしているナイチャーも多少「沖縄だったら別にいいよな」みたいな白々しさを感じて苛つくのである。太平洋戦争のときから沖縄は捨て石である。僕もどっちかというと思想は偏ってるけど、家族と話しても「沖縄は内地から馬鹿にされている」って考えは同じなので、これがウチナーンチュの共通認識であろう。だからといって屋良朝助みたいな沖縄独立運動を支持するとかいう気は全然しないが。


さて、今日の本題。お金がない。年金がはいるのは今月の15日なんだけど、口座には残金なしで手元にも500円しかない。後一度弁当を買えば終わりである。ジュースだって躊躇して買えない。毎回、年金支給月にはこんな感じで汲々としている。金が無い。なんで金が無いんだろうな?むしろ、お金がある人は何であるんだろう?


「金が無いなら稼げばいいじゃない」というのはマリー・アントワネットが市民革命の時「パンが無ければお菓子を食べればいいのじゃない」という名言の次に言った格言である。彼女には人を煽る才能があるのだろう。全ての人が貧乏になりたくて貧乏になってるわけではない。僕の場合はさ、就労移行支援に通っている間はアルバイトをすることも役所に禁じられているのよ。収入源が障害年金以外無いのである。だから支出を減らすしか無い。僕はその為、禁煙をして成功させたのである。


今になって思うけどさ、喫煙習慣はなんでやってたのだろうと不思議になるぐらいメリットがない習慣だよ。マルボロアイスブラストが一箱で460円。それが一日一箱で月で13800円。年で165600円。16万あれば何ができるか考えて見たまえ、軽く温泉旅行に出かけて豪遊が出来るぞ。しかも、喫煙しているとニコチン切れでタバコを吸ってる時以外は常にイライラしている感じ。禁煙をしてみてわかったのだけど、喫煙者はストレス解消のためにタバコを吸ってるつもりなんだけどタバコがストレスの根本的な原因になっている。僕は禁煙して4ヶ月めぐらいだけど、清々しいほどストレスフリーの日々である。禁煙外来はオススメである。3ヶ月ぐらいで禁煙できてチャンピックスの代金が約2万円であるがタバコを買い続けるよりはずっと安上がりである。通販でチャンピックスだけ買うこともできるが、病院に行けば保険で割引が効く。迷うようならすぐさま病院に行って禁煙外来を始め給え。


禁煙して無駄な支出は減らしたのだけどさ、金が無いのは変わりない。だったらアフィリエイトで稼げばいいじゃないとかいう奴らも居るだろう。なんかさー、どうもイマイチあれで稼げるという感覚が全然わからないのである。


最近、見かけたアフィブログの収支報告で8000PV/月で4000円という内容があったのだけど、どういう原理でそんなにクリックしてくれるのか全然意味わかんない。本気で言ってるのだろうか?嘘じゃないかなーって気もする。僕のブログは倍ぐらいPVあるけどアフィでの収入は月1000円ぐらいだぞ。なんだろうなースマホに対応させないといけないのだろうか?はてなブログではスマホページにアドセンス貼るためにはPro版と契約しないといけなくてなー、そのために1万5000円ぐらい払わないといけないのよ。また、アフィを踏ますためのPRエントリーも挙げないといけないんだろうなー。僕がブログでそれをやると今まで築いてきたただでさえ薄っぺらい僕の信用がゼロになるだろう。このブログでAmazonプライムの紹介記事とか書き始めたら、悪魔に魂を売った奴が一人いると思って下さい。

オリジナルの意見を表明できるだけで勇気がある人である。

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ryukyushimpo.jp


浦添市美術館で、切り絵アート展ってのが2017年3月11日から4月16日までやってるのさ。観てきたんだけど凄かったー。写真とったけど、ブログで使えそうな画像がないのな。展示物は撮影禁止だし、浦添市美術館の外観の写真は別に珍しいものではない。絵葉書でも撮影しときゃ良かったな。


倪瑞良(にいい みずよし)さんって切り絵作家の作品がヤバかった。切り絵ってあそこまで細かく作業するのかっていう驚きと、絵としてのモチーフ自体も大胆で攻めている感じなのね。ミュシャとかあの辺りの宗教絵画な感じ。でもキリスト教ではないなギリシャ神話とかをモチーフとしているんだろうか?本当に一枚の紙から切り出された絵なのかって思いで何時間でも観ていられる。


blog.toybox.sub.jp


使えそうな画像が無かったので他人のブログを貼っておく。他には蒼山日菜(あおやま ひな)さんって人の作品も繊細だったな。


あと、今調べてびっくりしたのが作品を出展していた筑紫ゆうなさんって筑紫哲也の娘なんだって。筑紫ゆうなさんは沖縄出身と書いてあったのだけど、沖縄で筑紫って名字は珍しいなと思って調べたら、筑紫哲也が沖縄にいた時期の娘だとさ。筑紫ゆうなさんはペーパークラフト作家として活動しているんだって。ふーん、20へぇぐらい。


うーん、イベントに参加したのに使えそうな写真がないのがつくづく悔やまれるな。沖縄在住の人は観に行くだけの価値はありますぜ。ちなみに今週末の16日までだから急いだほうがよろしいです。


さて、今日の本題。最近、ネットで自分の考えを不特定多数に晒すのは恥ずかしいことなのではないか、という考えが浮かぶようになったのね。ま、僕は以前も何度も書いたけど、僕がブログを書く理由は露悪的な事を書いて恥部を露出する事が快感だからというのがモチベーションなので、その事で羞恥心とか罪悪感を感じるってことはないんだけどね。だけどさ、文章を書く以上、ある程度センシティブな感性を働かせないと共感を得られる内容を書くことはできない。僕は変態だけどそこまで鈍感って訳でもない。ちょっと掘り下げて書いてやろうではないか。


「沈黙は金、雄弁は銀」ってのは誰が言い始めた事なんだろうな?ことわざの1つとして受け取っているが、これは日本の一般的なコミュニケーションに対する主流意見だと思うね。アメリカナイズされてディベートしたり意見を主張しないと駄目などの文化も入ってきた日本ではあるが、自分の考えをペラペラ喋るやつは信用されないっていうのは暗黙の了解である。自分の本当の本心は直接伝えるのではなく、暗喩的に空気で示して察してもらうのが美しいやり方ってのが民族のDNAに刻まれたコミュニケーションのやり方である。


ネットとかでもさ、あんまり赤裸々に自分の本心を晒すのははしたないと思ってるのは僕だけなんだろうか?私生活をなんでもかんでもブログに載せて晒している様に見える僕だが、本心を書く時はネタやら煽りやらを書いて変に饒舌になってしまい、素直に本心を書くということができない。いやはや、本当に思ったことだけを素直に書くというのは難しいのよ。さらに、それを他人でも理解できる文章として書ける技術があれば作家に成れるほどの才能である。まぁここで語ろうとしているのはそこまで高度な技術の話ではないのだが。


これは僕が文章を書くことで遊びすぎた弊害なのかは知らないが、剥き出しの自意識を書いた文章は辟易して直したくなる。他人の目に晒す文章ならば、ある程度美しく飾らないと嫌悪感が募る。これは羞恥心とかではなくて、なんか変な職業意識みたいな感じ。僕はシャレで自称・文筆業を名乗っているが、作家の文章へのこだわりってのは僕みたいな同人作家程度のアマチュアでも本職のプロでも変わりない。本質的にはただの素人と変わりないブロガーでも、本気で文章に向き合い始めるとこういう現象が発生し始める。こういう本心を書くことの難しさってのに気が付き始めたら、文章を書く事の本質の入り口に立てたという事だろう。プロになるとか言い始めるワナビはこの感覚ぐらいは掴めてないと恥ずかしい。たまにいるんだ、やたら着飾った文章を書くんだけどそれが表現しようとする対象が恐ろしく稚拙な作家が。人間としての成熟度が足りてないとでも言うべきか。「太陽の季節」の頃の石原慎太郎がまさにそれ。あれは内容的には作者自身を投影した主人公が俺TUEEE!している二次創作小説とそんなに変わりないぞ。


読んでも自意識に辟易する文章を書く作者がいるという時点で、僕の論理は破綻している気がするがひとまずまとめに入ろう。


なんというか、本心を本当に伝わる文章で書ける人ってのは一部の才能溢れた作家を除いて難しいことって気がするのさ。そこまでの文章の練度を高めるってのは一生ものの修業が必要。だから一般人がブログで書く文章でそこまでの技術を求めるのは無理筋。だけど、本心を伝えるために文章を書き続けるという態度は絶対必要であろう。文章的には稚拙であってもそれに立ち向かう人は勇気ある人だと思う。たとえ文章の表面上は現れなくても、その本心を理解できる人は色んな文章を読み慣れた読者なんかにいたりするんだ。

『人は見た目が9割』とかいう考え方もあるけどさ。

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今日は薬を取りにデイケアに行ってきた。毎度毎度の事なのだが、あそこに行くと毎回不愉快になる。僕が持っている経験則として他人に対してネガティブな感情で共感を取りに行っても大抵、ろくな結果にはならないというものがある。自分が如何に不愉快なのかをいくら言葉を尽くして表現しようとしても、全然伝わらない上に大概うざい。リアルでこの手の話題しかしない奴は面倒くさいから避けるだろうな。それでも書く理由は、ここが僕の感情の最終処分場みたいな場所だと言う事と、本当にムカつくことばかりだからという訳がある。読んで不愉快になる人も居るだろうが、僕も不愉快だから書いているのである。


このデイケアは日本語が通じるのに全然言語体系が違う人ばっかりなのよ。やたら話したがる人ばっかいるんだけど話を聞いても1ナノも共感できない。話題が「昨日寝てないからねむい」とか「タバコ吸いたいけど高い」とかの自分の半径5メートルの内容のみ。聞いてもいないのに自分がどう思ってるのかの話しかしない。相手がどう思ってるかと話を差し向けるなどの気遣いなどは全く出来ない。しかも話題を変えようとすると怒るんだぜ。不機嫌になるとかの可愛らしいものではなくて、本当に子供みたいに怒鳴って威嚇してくるの。僕はアホらしくてただただハイハイ言ってるだけなのにずっと延々と話してくるんだぜ。あれは会話ではなくて、ただ口から音を発する競争をしているだけだ。なんで僕も障害者なのにわざわざ時間を取って障害者の面倒を見に行かないといけないんだ。


それだけじゃない。ここの職員はなんかヤバイのよ。表面上は一応、丁寧なのよ。でも完全に障害者を馬鹿にしている。誰に対しても小学生ぐらいの子供を相手にする口調なのよ。僕が「資格試験が今週末にあるんですよ」って話をしたら「そうですか、難しいことが出来て凄いですねー」だって。皮肉なのか本気なのか区別できない。どっちにしても馬鹿にしきってる。普通の大人があんな言動をされて本当に苛つかないとでも思っているのだろうか?これだけだと僕が過剰反応しているだけに思えるだろうけど、僕が一般的に普通だと思われる話題を展開していると「難しい内容ばかりで共通の話題がないですね。友達少ないんじゃないですか?」と意訳できる返答をされた。アイツラ完全に障害者を健常者より下という扱いで対応している。ひとまず障害者は一箇所に集めて飯だけ喰わせとけばいいという考え方で作られているのがこのデイケアである。一応、月一だからという事で我慢はできる。ここが毎日だと流石の僕でも人生に絶望するだろうな。どこか役所とかに訴える程暇ではないが黙ってるほど大人でもない。ここに感情のままに殴り書いておく。


はー、ムカつく一日だった。無駄に本気で苛立っていたから友達を食事に誘って会話してきた。普通の会話ができる人間って素晴らしい。


しかしながらこの友人も適度に人格ゆがんでるんだよな。以前、新垣結衣がフツメンだと強弁してたのはこの友人である。本当の美人以外とは付き合いたくないんだってさ。ガッキークラスを駄目だという過剰な面食いでは彼女ができないだろうなぁ。いい加減、僕らの歳だと結婚しないと不味いぐらいの年齢にはなっているのさ。だけど、コイツは未だ女を選ぶ気満々である。自分をそれほどいい男だと思っているのだろうか?


なんつーかさ、『人は見た目が9割』とかいう煽り以外なにものでもない新書があったけどさ、あながちハズレでもないなぁという思いもある。でも、美女イケメン以外は生きている価値がないみたいな馬鹿な事を言いたいというわけではない。でも適度な対外的な営業が出来るやつじゃないと本当にGACKTクラスのイケメンでもない限りどうでもいい扱いしか受けない世の中だなぁという実感があるのである。


見た目はそれなりに気をつけないと、自分がその気がなくてもゴミでも扱うような態度の女はいる。コミュニケーション取って自分を分かってもらえばいいじゃんと思っても、この手の人間はそもそも見た目以外で人を判断できないのである。こういう奴は結構いる。というか、ほぼ全員そうである。それぞれタイプとか好みが違うだけで、ある程度の容姿じゃないと人間以下の扱いを受ける。だから営業はそれなりにしないといけない。自他共認める心優しい人間であっても、雰囲気イケメンになる努力とかリップサービスはしていないと全然相手にされないのである。


だけどまぁ、実際に付き合ってみての相性とか話が合うとかの相手じゃなきゃ付き合った所で全然駄目なんだけどね。そもそも論なんだけど、営業してみた所で満足行く相手が見つからなきゃお話にならんのさ。そこを妥協するやつが『人は見た目が9割』って言葉言っているんじゃないかなー?って気がする。いくら見た目がよくてもさ、女ならなんでも良い中身が空っぽのやつはそのうち適当な扱いを受けるようになるさ。

毎日ブログ書いてるだけで良いのかなぁ?と思うんだ。

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北朝鮮がきな臭くなってきたな。語れるほど情報を知ってるわけではないが興味はある。「斬首作戦」などと金正恩の暗殺を日本のメディアまで取り上げ始めるとか、実際の現場ではどれぐらいの状況になっているのかヒヤヒヤする。TVで取り上げてるぐらいだしな、多分、アメリカ海兵隊のシールズでは現実味のある計画段階まで出来上がってるのだろう。別に金正恩を暗殺するのはいいんだけどさぁ、その後の北朝鮮の反応まで考えているのかしらん。大量に発生するだろう北朝鮮の難民は、中国は絶対受け入れないだろうし、経済も政治も傾いている韓国にとどめの一撃を加える可能性もある。だからって日本で受け入れたくもないしな。まぁ自分がその立場だったら途中で船が沈没して溺れ死ぬ覚悟でも日本に亡命するけどな。僕の読みでは多分、数年内に北朝鮮は崩壊すると思うんだよね。やっぱ世襲の3代目ってのは企業経営でも落ち目さ。よっぽど慎重に政権運営する幹部がいるならともかく、軍事政権の上に政治家は腐敗してるらしいですからな。静かに金正恩政権を取り潰す算段ってのは立ってるのかねぇ?最悪のパターンはヤケクソになった金正恩が核ミサイルを乱射して、アメリカのカウンターシステムが動作して核戦争に突入。全世界が核の炎に包まれて、何故かモヒカン達がヒャッハーしはじめて、秘孔を付く事で人間を爆殺する一子相伝の拳法が突如として現れるのである。僕は「いっぺん人類は滅んだほうが良いんじゃないか?」って極めてアナーキストに近い考えが浮かんだりするけど、流石にこのきっかけで最終戦争が起こるとアホらしさでクラクラする。アメリカもあんな大統領になったし、EUでもなんかフランスが極右に傾きつつあるとか、パレスチナとかシリア辺りで米ロが揉めてるとか、そろそろ第三次世界大戦でも始めようかって気配を感じなくもないんだけど北朝鮮が原因は無いわ。人類は愚かだとは思うけどそこまでひどくもないと思う。もうちょっと期待はさせて欲しい。


さて、今日はブログ論に逃げようかな。林先生の精神科Q&Aまとめはもうちょっと待ってね。ブログの今までのエントリーとかを読み返して、リライトしないといけない箇所なんかを洗い出そうとしているところなんだ。リンク切れとか結構、沢山あるからな。このブログははてなダイアリーで2006年から始めたという11年の歴史を持つ結構な老舗ブログである。とはいえ、まめに毎日更新し始めたのは去年の8月からなんだけどな。それまでも毎日更新しようとした時期もあったんだけどさ、なんつーか仕事が忙しくね、ちょっと更新して飽きて1年ぐらいブランクが空いたりした上での11年の歴史である。今でも昔の技術記事で検索流入があったりする箇所があったりするので、記事修正は必要なんだよな。でもさ、アフィブロガー系の連中が言うみたいに検索エンジンの評価が低いエントリーを削除してアクセスアップ!みたいな小手先のSEOはアホじゃないかと思うんだ。ブロガーだったらわざわざ手間暇掛けて書いた一つ一つのエントリーに愛着はあるだろうよ。検索エンジンのためにエントリーを書いているわけではない。そこまで金のために自分のプライドを捨てる気にはなれん。


なんかさー、最近、毎日ブログ更新は慣れたんだけど、日常の中で「それだけでいいのか?」って疑問が浮かび始めたんだよね。確かにブログ更新をすることで生活にメリハリっていうか、ちゃんと一日一日を記録につけることで丁寧に人生を生きている感覚ってのがあるんだ。だけど、ちょっと生活のなかで無為なエネルギーっていうか、無駄な時間がある気がするんだよ。ルーチンで生きている感じで、建設的な活動というのをしていない気がする。ブログを書くことは建設的な活動の1つだろうけど、実際に毎日更新でブログ書いてみての感想というのは「意外なほど何も無い」って事なんだよね。いやはや平々凡々。まぁ人気ブロガーになりたいというわけでもないからそれでいいんだけど、もうちょっと人生ってのは波風があるもんなんじゃないか?って期待もあるんだよね。少しは自己啓発系の何かを取り入れたほうが良いんじゃないかっていう予感がする。


ブログのアクセスアップを狙って、アフィリエイトで月30万稼ぐために頑張ります!みたいなブログ飯の人種は、僕は徹底的に馬鹿にしているということは熱心な読者諸氏ならご存知であろう。あの人種のブログをヲチ目的で読んでいたりするのだけど、思想的には絶対一生分かり合えないだろうなとしみじみ思う。なんというか、彼らの全くの理想論だけに満ちた甘々の人生の見通しを聞いていると、普通の会社で普通に成功しようと一生懸命努力してきたのに、統合失調症を患って社会の最底辺の人生に甘んじるほかなくなった僕の人生を馬鹿にされている気がする。だけど、全く矛盾した言い分だとは思うけど、僕の人生が救われるルートというのは彼らの思想を受け入れることなんだろうなぁとも考えているんだよね。こう思った理由は、ホリエモンの『ゼロ』を読んで「なるほど!」と深く共感した自分もいたからなのよ。まぁホリエモンの思想が凄いと言う気もするんだが、ネットで成功しようとする言説全てが間違っているというわけでもないという事に気がついた。


まぁこれからブログに書きながら考えてみるさ。ブログを書くという習慣で分かったことは、考えを書き出すことの重要性だ。考えるだけではわからない思考のオーバーフローというかさ、書いてみて気がつくことって沢山ある。自分を客観視した上で新たなルートを導き出すことができる。また、それだけではなくブログだと、セルフプロデュースとかマネタイズまで出来る可能性があるのさ。無論、自分を知った上で実際に行動に移してみての結果だが。


ひとり飯っつーか自炊に付いて語っちゃおうかな。

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Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」


はてな運営からのお題がエディターのヘッダに表示されているので参加する。ひとり飯について書くと、原作コミックとNetflix6ヶ月分が当たるキャンペーンなんだってさ。貰えるのもは何でも貰うのが僕のポリシーだ。もう一つのお題は「野武士のグルメ」の感想を書くと5万円分のお食事券が貰えるんだとさ。こっちも別途書いとこうかなとおもうぐらいの価値があるお題だけど、お題を書くためにNetflixを契約してドラマをいちいち観ないといけないという手間でイマイチ食指が動かない。あらすじだけで架空の物語を勝手にでっち上げてそれについて感想を書くという荒業もあるが、そんなことをすると運営からマークされて今後、一切のお題ネタ参加を拒否られる可能性もある。素直に書けるものだけを書いておこう。


さて、ひとり飯ねぇ。そもそも僕は年金生活者でなぁ、そんな贅沢はめったに出来ないんだわ。年金が入ってきて一時的に懐が潤った時は外食することもあるけど、吉野家とかのチェーン店ばっかりだったりする。たまに南城市のカフェに出向いて海を眺めながら珈琲を楽しんでいる事をこのブログのエントリーでも紹介してたことがあるだろう?僕ができる贅沢ってあれぐらいである。


普段の夕食とかは殆ど自炊だな。僕は家族と暮らしているんだけど、母親は脳溢血の後遺症で左半身麻痺でな、家事全般は殆ど僕がやってるんだわ。母親の夕食は福祉施設からの配食サービスを取っているので心配ないんだけど、僕の夕食は用意されてない。なので、適当に自炊をする事になる。


自炊ったって腹を膨らませるだけが目的の男の自炊である。バリエーションは全然ないし、冷凍食品とかインスタントを多用してる。金がなくなってきた時はカップラーメンだけって時も結構多いのさ。金が比較的ある時はスーパーに行って、レタスとかトマトを買ってきてタコライスを作る。その他には麺とインスタントの汁を買ってきて沖縄そばのときもあるな。なんというかな料理はさ、食べる人が沢山いて大量に作る時は単価が安くなるんだけど、一人分だと逆に高くてな、一人分の自炊を安く済ませる方法はカップラーメンとかで済ませることだったりする。


僕のオリジナルレシピとか紹介しちゃおうかな?ただの野菜炒めである。なにも珍しくない。


◆用意するもの


キャベツ 半玉
玉ねぎ 2玉程
もやし 一袋、予めひげは取っておく
ポークランチョンミート 缶の半分ぐらい
ハッシュドビーフ 一パック
にんにく 2かけほど
塩・胡椒 適量
醤油 適量


◆作り方


キャベツ、玉ねぎ、ポークランチョンミートは適当に刻む。にんにくもみじん切りにしておく。フライパンを温めておいて、にんにくから炒める。次にキャベツと玉ねぎをぶち込み玉ねぎが透明になるまで炒める。野菜に火が通ったらポークランチョンミートとハッシュドビーフをぶち込む。ある程度火を通したら塩コショウで味付、僕はこれだけだと自信がないので醤油も入れちゃう。場合によっては味の素を入れる場合もある。味の素は万能調味料だ。どんなゴミみたいな料理でもこれをいれるとそれなりの味になる。


毎日料理をしている読者の方が呆れ果てているのが見えるが、僕の料理はこんなもんだ。むしろ、一人で食うだけの料理なのにこだわってパスタとか茹でてなんかオシャンティーな料理を作っている男は気持ち悪い。村上春樹の小説の主人公なんかがこういう事をしていることが多いな。「騎士団長殺し」の主人公も一人でペペロンチーノとサラダを作って、ワインと一緒に夕食をとっている光景が描写されていたけど、そんな行動はリーチ目の女を連れこんだときだけしかしねーぞ。モテる男はパスタを茹でるのである。しかも意味もなく無水鍋なんかを買っちゃって一人で食べるだけなのにローストビーフなんかを作っちゃうのである。あー、書いててムカついてきた。僕だってたまにcookpadを参考にしながらコンソメスープとか作ったりすることもあるぞ。コンソメキューブが大量に残っているんだけど、あれの使い方ってわかんないんだよな。意味もわからず美味しそうだからって理由で創味シャンタンも買っちゃったんだよな。メシマズはよく分かってないのにこの手の調味料ばっかり拘っちゃうという傾向があるな。


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