超メモ帳(Web式)@復活

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統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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藤井聡太君が29連勝って事で将棋について思いつくこと。


藤井聡太君が29連勝したということで、将棋フィーバーが来ている。でも、ワイドショーなんかを見てると勝負飯がどうこうとか、ヒフミンアイがどうこうとかそんな事ばっかりで将棋の事を書いてねーじゃないか。


いやまぁ、僕も全然、将棋の事知らないから何も書きようが無いんですけどね。でもまぁ、14歳の中学2年生が、大人達を相手に歴代最多連勝記録を作るってのは超弩級に凄い事だと思う。まさしく天才なんだろう。


sp.ch.nicovideo.jp


コアな将棋ファンにとっては「藤井」って言ったら「藤井聡太」じゃなくて「藤井猛」だぞ!って怒られるっぽいです。現状の穴熊ブームに対して、藤井猛棋士は真正面から立ち向かい「藤井システム」を作り上げた。全盛期の羽生善治と戦って竜王戦3連覇したなどの記録を持ってるとの事。

藤井システム(ふじいシステム)は、将棋の振り飛車戦法の一つである四間飛車の一種。将棋棋士藤井猛が考案した[1]。これにより藤井は1998年の将棋大賞の升田幸三賞を受賞。

藤井システム - Wikipedia


藤井システムWikipediaはなんか凄い。みんな穴熊を選択していた時代に、穴熊を天敵としている振り飛車で勝つ為に、藤井猛棋士が奮闘した記録が綴られている。藤井猛氏は一種のイノベーターだったのでしょうな。


僕が将棋と言う時に思い出すのは羽生善治棋士なのだが、一時期、はてなで将棋ブームが起きていた事を覚えている人はいるだろうか?その時の旗の振り手は梅田望夫氏ですな。

梅田は、実際に将棋を指すことはない「指さない将棋ファン」と自認している[3]。2008年6月11日には棋聖戦佐藤康光棋聖羽生善治挑戦者)[4]の、2008年10月18、19日にはパリにて行われた竜王戦渡辺明竜王羽生善治挑戦者)[5]の、リアルタイム・ネット観戦記を担当した。2009年、第21回将棋ペンクラブ大賞で文芸部門・優秀賞を受賞(「機会の窓を活かした若き竜王」)。2010年、第22回将棋ペンクラブ大賞で文芸部門・大賞を受賞(『シリコンバレーから将棋を観る』)。

梅田望夫 - Wikipedia


梅田望夫氏はweb2.0時代の立役者だった。はてなの非常勤取締役を務めていたので、はてなの古参だったらみんな知ってると思う。非常にポジティブなweb観の持ち主だった。著書「web進化論」の中で「学習の高速道路論」を語っていた。当時はまだ新卒でペーペーだった僕は興奮したものだ。


ちょっと論理が飛躍するのだが、今の機械学習ブームは梅田望夫氏が結構大きな役割を果たしている。特に将棋と人工知能についての視点は梅田氏が居なかったら成り立たないのではないか?

もう一つ私の雑感を加えたい。さらにそれ以前の羽生の対談だったが、正確な言葉は忘れたが、彼は、人間とコンピューターが対戦してコンピューターが勝つ日は来るでしょう、と言ってのけた。また、高段者同士の対戦における勝敗の差はごくわずかなものにすぎません、とさらっと言った。印象深く覚えている。詰め将棋的な終盤になれば、人知はコンピューターには叶わない、とも言っていたと記憶する。であれば、序盤のなかに将棋の本質と可能性を見ていくことになる。

[書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫): 極東ブログ


2017年の将棋界では人工知能はすでに人間を超えちゃった。00年代ではそんなことは想像もされてなかった。今の将棋解説では人工知能で分析してどちらが有利なのかかなりの精度でわかるとの事だ。僕は一応、プログラマだから将棋と人工知能の関係性は注視してきたのね。


www.shogi.or.jp


藤井聡太君が注目されて将棋界が盛り上がったと言う事で、電王戦ももっと観る人が増えたら良いなあ。電王戦は人工知能の進化を肌で感じる。梅田氏の想像した世界に近づきつつあるんじゃないかなあと僕は思った。


ちなみに今回、このエントリーを書くときに聞いてたのはこれだ。最後で台無し。



ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

どうせ最初から嫌われてるんだから気軽に発信すりゃいい。


僕は選り好みが激しいので、嫌いなものは延々と皮肉でdisりまくる所がある。例えばプロブロガーとかアフィリエイターを蛇蝎のように嫌っている。金の話をし始めたら、とりあえず眉に唾つけとく。長々と綺麗事を抜かした後にアフィやらメルマガのリンクを貼ってたらそれだけで「Personal Blocklist」に登録。半永久的にサヨナラである。


forest.watch.impress.co.jp


「Personal Blocklist」は登録したドメインGoogle検索から除外するChrome拡張である。類似のツールに「はちまバスター」などがあるがこっちをお勧めする。「Personal Blocklist」はGoogle謹製の拡張で、登録したドメインGoogleに送信されて、検索順位に反映されるのね。是非とも皆でインストールして、はちまや刃、NAVERまとめを登録しておいてほしい。


ちなみに僕は広告ブロッカー推進派である。最近chromeの標準機能に広告ブロッカーを取り入れる動きがあると言う。めんどくさい議論は抜きにしても、広告業界の人間はユーザーを舐めすぎなので各自で自衛した方がいい。お勧めの広告ブロッカーについては下記でまとめたので導入して見てください。


yuki-2021.hatenablog.com


「お前のブログもGoogleアドセンスついてるじゃん」とご指摘くださる読者の皆様。良い指摘です。別に僕は主体的に広告ブロッカーを入れてるユーザーなら文句言わない。世の中にはAnti Adblockというクソみたいなプラグインを入れてまでアフィを表示させようとするブロガーもいるが、そんな奴らはwebの文化を衰退させる一方だと思う。ユーザーに表示のカスタマイズの余地を残した上で、悪質じゃない程度の広告ならば別にいいんじゃないかなー?ってのが僕の解釈だ。まぁはてなブログProとかドメイン代とかのブログの運営費ぐらいは必要なのさ。今、スマホとかで見るとフッターのエグい位置に広告があるけど、これははてな運営の広告なのさ。Pro版にしたら削除しようと思う。


さて今日の本題に入りましょう。今日は釣り気味のタイトルをつけた。


巡回先のブログで炎上しない為の技術論なんかを展開している方がいらっしゃるのだが、それはちょっと違う。炎上は確かに恐ろしいが、最初から萎縮してしまうとネガコメをつける奴の思う壺だ。炎上経験者はどうしてもdisが来る事に警戒してしまって好きな事が書けなくなるが、そのままブログを閉じちゃったりはしちゃいけない。


「嫌われる勇気」で書いてあったんだけどさ、十人中二人しかあなたのことを好意的に見てはくれない。他の八人は無視するか攻撃して来るかのどちらかである。

 「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体、誰が自分のために生きてくれるのだろうか」というユダヤ教の教えがあります。どんなことをしても自分のことをよく思わない人はいます。10人の人がいれば1人はあなたのことをよく思わないでしょう。10人のうち、7人はその時々で態度を変えるような人です。

どうしたら「人目」から解放されるか:日経ウーマンオンライン【アドラーに学ぶ 人と人の間のこと】


自分を嫌う人の為にいちいち神経を消耗するのは損な事ですよ。というか、よっぽど大多数の倫理に反する事を言わない限りはネガコメつけて来る奴って暇人だけなのね。

炎上を知っているユーザはネットユーザーの90%以上だが、炎上参加者はわずか約1.1%しかいないそうだ。尚且つ、この炎上参加者の大半は1度書き込んだだけなのが大半なのだ。つまりはtwitterなどで炎上案件に一言だけ書き込んだ人も統計に入っている。これから炎上対象者に粘着して繰り返し誹謗中傷を書き込むユーザは0.00Xまで比率が下がる。つまりは少数の過激なネットユーザだけが炎上事件を引き起こしているのであって殆どの人は書き込むことすらしていないのである。

「ネット炎上の研究」(田中辰雄・山口真一)を読んだ。 - 超メモ帳(Web式)@復活


炎上するよりも、自分の信念を曲げる事に屈する方が長期的に見ると悪影響。本格的にどうにもならなくなったら逃げれば良いだけだ。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン。



ネット炎上の研究

ネット炎上の研究


嫌われる勇気

嫌われる勇気

最近、どうにも読書量が少なくて困ってる。


今日は月一の習慣である図書館通いで本を借りてきた。借りた本をリストにしておくか。


図書館で借りてくるのは、エッセイ・小説などだね。新書とか自己啓発本なんかはkindle unlimitedで読んでいる。これは得意分野の使い分けだと思っている。エッセイ・小説なんかはどれだけ時間が過ぎようとも色褪せることはないので古典を数多く揃えている図書館が有利。新書とか自己啓発本はちょっとでも鮮度が落ちると陳腐化するんですね。それにリアル書店で買っても本棚を圧迫して、すぐさまブックオフに走る事になる。電子書籍が有利だ。しかもkindle unlimitedは月980円で読み放題なんだね。読める本には偏りがあるが、活字中毒で本なら何でもいい僕にはありがたいサービスだ。いやまぁ、他人に勧めるほど良いサービスでは無いんだけどね。自費出版の本なら殆ど無料で読める。980円なら図書館へのバス代往復ぐらいと同額だしな。別に許容範囲。


図書館ではエッセイを必ず借りる様にしてるんだよね。僕はエッセイストでは椎名誠を一番尊敬している。彼の文体である昭和軽薄体をコピーできないだろうかと思っているのだ。北杜夫なんかも好きだな。どくとるマンボウ航海記は楽しく読ませてもらった。遠藤周作の狐狸庵先生にも多大なる影響を受けている。まぁ基本的にはドタバタした文体が好きなんでしょうな。
今日は瀬戸内寂聴司馬遼太郎の本を借りてきた。どっちも偉大なるエッセイ書きだ。


僕はブログをエッセイのカーボンコピーぐらいの位置付けで捉えている所がある。流石にエッセイと同じ、とまでは強弁する気にはなれんな。ブログがどの程度、文学的な行為なのかってのは、僕はかなり低く見てると思う。兼好法師から続く、純然たる随筆の進化系だとは思うが、簡単に更新できちゃうから文章に込められる心的圧力は低いままに留まってるんじゃなかろうか?


まぁいいや、かなりの偏見あるエッセイ論を書いたが、ブログで本当のエッセイを書いている方もいらっしゃる。


parupuntenobu.hatenablog.jp


Beのぶ氏は文章の量、質共にただ事ではない。しかも実際に現場に足を運んだ検証記事を毎日のように更新してる。お手軽コタツ記事ばかりの僕は恥ずかしくなっちゃう。ブログでエッセイを書いていると自認するにはこれぐらいの物量は保持してないといけないだろう。beのぶ氏がエッセイを書く事について書いた、参考になる記事があった。


parupuntenobu.hatenablog.jp


当たり前の話なんだけど、量を読まないといい文章は書けないのね。そこんところを勘違いしている奴は案外多い。


僕は毎日ブログで2000字を更新する事を義務化してるんだけど、これは存外にしんどい。ふと気を抜くとどうでもいいことしか書いてないのよ。295日連続更新しているから、すでに書くことは日々の習慣になっており、夕食後に一時間ほどiPhoneで執筆している。僕は書く事が好きなのでこの後に日記も書いている。一日4000字程度はアウトプットしてる訳ね。毎日これだけ書いてるとブログ執筆は歯磨き程度には気楽。よく、毎日更新が苦しいと新人ブロガーが嘆いているが、毎日書くだけなら別に難しくない。問題は書いた文章に意味を含めることだ。


だから、ブロガーはネタ集めが最重要事項なのよ。日々ネットニュースをかき集め、他人の更新を目を皿にして読み漁り、本を乱読するのは必須。これをやってないとどうでもいい事しか書けなくなる。


僕はインプット量が最近低くて困ってる。月に10冊以下しか本が読めていない。図書館で借りてきた本も一カ月で読めなくて延長する体たらく。僕は小説も書くからインプットが少ないのは致命傷なのよ。最近のブログの文章は、イラストで言うところの手グセで書いている。執筆時に何も考えずになんとなくいい事しか書いていない。


だが、そこまで悲観はしていない。知識量ってのはアウトプットしてると線形じゃなく複利で増えていくものだからだ。雪玉が転がるようにどんどん大きくなって勢いがついてやればやるほどやりやすくなるものなのだ。インプットに気をつけた上でアウトプットして両輪を回せば、指数関数的に知識量は増えていく。


まぁ真面目に本を読む時間を設けないといかんだろうな。せめて月に10冊は本を読みたい。そして書評も書くようにしていきたい。

僕は日常の密度の高い人生を送りたいな。


首里のローリングビーンズ自家焙煎珈琲工房で豆を買ってきた。


www.genki-okinawa.jp


ローリングビーンズ自家焙煎珈琲工房
〒902-0062 沖縄県那覇市松川3丁目17−1
098-886-6066
Google マップ




ここは生豆からその場で焙煎してくれる。マスターのオッチャンがめちゃめちゃ気さく。珈琲好きだと分かると色々と話してくれる。


コーヒー豆180gを量り売りしてくれる。正確には生豆240gを焙煎すると水分が飛んで180gになるのね。コーヒー豆を注文すると珈琲一杯をその場で淹れてサービスしてもらえる。


キリマンジャロを買ってきたけど結構豆が余ってるかもしれない。以前もらったモカマタリがまだ残ってるのね。普段飲むのはスーパーで買った安い豆なんだけど、結構那覇の珈琲ショップによく行って買ってくるから在庫が余る。


毎日朝に三杯ほど淹れてタンブラーに詰めて事務所に持って行くんだけど、高い豆だと勿体無い。タンブラーだと珈琲の香りが飛んで、ただカフェイン取得するだけの飲み物になっちゃうのさ。本当にしっかりと珈琲を味わうならカップじゃなきゃダメですな。


珈琲の味を覚える為に、色んな喫茶店に通っているんだけと、ピンからキリまで色々とあって自分が淹れた珈琲の方が美味しいこともある。最近はコンビニコーヒーですら結構レベル高いからな。流石に自家焙煎の珈琲には敵わんけど。


今日は年齢と自意識について一席ぶたせて頂こう。


nyaaat.hatenablog.com


日本の社会では若ければ若いほど輝いているという通底概念があるけれど、実際に生きてみてそんな事は無いなと感じた。歳をとればとるほと生きやすくなってくる所がある。


女性だと身体的な属性に繋がる事で、若い時にしか出来ない事が結構あるけど、ニャートさんはそう言う事すら乗り越えている所がある。まぁ、そこまで達観する事は普通の人には難しいんじゃなかろうか?


男性の場合は歳をとる事はメリットの方が多い。男は30代以降が人生本番な気がするな。男の場合は見た目の衰えってのはあんま気になる事では無い。むしろ、社会的地位が男の価値になる事が多く、ある程度、年齢を経ないといい男は育たない。


一般的に加齢と共に容姿は衰えるんだけど、そちらに価値観を置いている奴ってのはイマイチ人間的な深みがない。どんな人間でも歳をとれば醜くなっていき、いつかは死ぬ。普遍的な価値ではないのだ。


まぁ人生をちゃんと生きる為には普遍的な価値観じゃなきゃダメだとか言い始めると、どんなスキームを定義するかなどのメンドくさい事態になってくるのでやめとく。通念的なヨタ話を書いていこう。このブログで書く事は基本的にはそんな事ばかりだ。


若い時ってのは自意識が色々と問題になる事が多い。思春期は色んなことを考え過ぎて生きづらい。そう言うのを美しく表現する文学もある。ヘッセの「車輪の下」とかサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」辺りは思春期の感じやすい自意識を鋭い筆致で捕まえた文学だ。そう言うものを読んで美しいなと感じれるのも、ある程度、年齢を経て経験を積んだ後じゃないとわからない。実際に自意識に苦しめられている時は思春期の美しさって分からないと思う。


文章を書くなどの行為は加齢が正比例して強く働く項目だと思う。感受性が高いほど有利ではあるが、経験には敵わない。作家には自殺して短命になるケースが多いが、不幸なだけだ。長く生きて日常を過ごしゆっくりと熟成させることが人生の密度的には上だと思う。ブログやエッセイなどの日常の文章は歳を取るほど美しくなる。人生に無駄な事ってない。


僕が人生の価値観に置いているものは日常の密度だな。淡々とした日々であっても丁寧に過ごしていく事で美しく輝く。歳を取るほど使える経験が増えていってどんどん熟成していく。珈琲を淹れて飲む。自炊をして美味しいものを食べる。図書館で本を借りてきて読む。ブログで毎日どうでもいい事を書く。その様な日常の出来事を丁寧にこなす事は、幸せを育ててる気がしてそんな悪い気はしない。幸せの青い鳥は身近にいる。


車輪の下 (岩波文庫)

車輪の下 (岩波文庫)


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

昨今のファンタジーブームはファシズム復活の先駆けである。


本日(2017/06/23)、フリーアナウンサー小林麻央が34歳で亡くなった。


僕は彼女の事はよく知らないのだが、人間の命の儚さを感じた。34歳というのは若過ぎる。これから人生の一番美味しい所を味わう時期だ。彼女には5歳と4歳の子供がいる。さぞかし無念な事だっただろう。


ちょっと事務所の代表と彼女の事を話したのだが、リンパまでガンが回った事で、彼女にも、彼女の夫の市川海老蔵にも時間がもう無い事は分かっていたはずだ。身体の一部にガンがあるのなら削除したらよいが、リンパにまで回るという事はすでに全身に転移したという事だ。ステージⅣ。なんて絶望的な言葉だ。


ときたまブログを読んでいたのだが、足がむくんでマッサージしているなんて日常の事柄から「あぁ、もう時間がないのだな」という事は分かってた。僕みたいな門外漢が分かるのだから、本人や夫の市川海老蔵はもっと切迫した時間を送ってたのじゃないだろうか。それでも、全く変わらぬ日常の事を綴っているのでやきもきする所もあったのだがそれは違う。彼女は多分、ちゃんと死を受け入れていたのだ。その上でただただ平凡な日常を綴ったのだ。


虚しいな。なんで切実に一日を望んだ者が死に、無為に時間を浪費する者が生き残るのだろうか?全てのものに一日24時間が与えられるが、その時間は同じではない。

「君が無駄に過ごした"今日"は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった"明日"なんだ。」


【心にジーンと響く人生の名言】「君が無駄に過ごした"今日"は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった"明日"なんだ。」を英語で言うと? : スラング英語.com


真面目に考えたら虚しくなるばかりなので、警句を引用してピリオドを打つ。注意しておきたいのは全ての人に等しく時間は過ぎていくのであり、その時間の価値も本人しか知らない。僕が皮肉を言う事だって浅ましい事だ。だが、言わずにはいられないのである。


小林麻央さんのご冥福をお祈りします。


さて、今日の本題に入りますかね。


今週のお題「もしも魔法が使えたら」

子どものころ、「魔法使い」にあこがれたことはありませんか?

今週のお題は「もしも魔法が使えたら」です。

「空を飛びたい」「動物と話せるようになりたい」「過去に戻りたい」など、妄想は自由! 魔法を使ってやりたいことを教えてください。たくさんの投稿、お待ちしております。


前半と打って変わってどうでも良いテーマだ。まぁ、馬鹿馬鹿しくて僕のブログらしくって良いんじゃないかな?


魔法ねぇ。現状でも厨二の心を忘れない僕は呪文詠唱にロマンを感じる。

カイザード アルザード キ・スク・ハンセ グロス・シルク!

灰燼と化せ 冥界の賢者 七つの鍵を持て 開け地獄の門!

七鍵守護神(ハーロ・イーン)!!

七鍵守護神 (はーろいーん)とは【ピクシブ百科事典】

妖精の輝き(フェアリー)

「水晶に砕けた陽光のすべてを
その薄羽に捧げる… フェアリー!」

Final Fantasy Tactics 呪文詠唱リスト


超かっこいい。理屈は分からないけどかっこいい。


いやはや、呪文って何のために唱えるんだろうな?魔法が存在するためには何かしらの理屈があるはずなんだよ。例えば、ちょっと間違っただけで誤作動するような方法が魔法発動のきっかけだと魔法使いの日常は散々たるもののはずた。


どっかのエッセイ的なもので読んだのだが、魔法を唱えるためにはポーズをリミッターにして、ポーズを決めながらじゃないと魔法は発動しないようにしたら大丈夫じゃなかろうかという論理を読んだ。これだと色々と漫画などでポーズを決めながら呪文を唱える理由がわかった。呪文も長くなるはずである。「ルーラ」の一言で魔法が発動するような世界だと魔法使いはちょっと言い間違っただけでどっかにぶっ飛ばされる。色々と手続きを踏んで魔法が発動するようにしないと体が持たない。


ここで思いつくのは魔方陣グルグルだ。光魔法「かっこいいポーズ」はまさしく魔法の王道なのではないだろうか?光魔法「かっこいいポーズ」とはあまりにもかっこよくて魔物が動きを止めてしまう魔法である。これが魔法の本質ではなかろうか。


今までの論理で帰結するのはこうだ。魔法を使うためには、術者が一定のかっこいい呪文やかっこいいポーズを取りながらじゃないと発動しないのだ。術者にもそれなりの資質が求められて、ブサイクは活躍出来ないのがファンタジー世界の掟なのだ。つまりは現実世界と同じく「人は見た目が100%」なのだ。


ファンタジー世界は現実世界よりも差別が激しい社会なのかもしれない。やたらエルフやドワーフなどの種族を珍重する辺りにその思惑が透けて見える。裏を返せば、そう言うものが支持されていると言うのはナショナリズムの発揚がきっかけであり、エスノセントリズムが世を支配していると言う事だ。つまりはナチス第三帝国は魔法王国なのだよ!


オチなし。終わり。

あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ。


dic.nicovideo.jp


別にBLEACHの話をしたい訳ではない。だが、この藍染のセリフは割と的を得ているなと感じた。


僕がこう言う事を考えるに至った理由は、プロブロガー系のブログを読んだ時に感じたんだけど、強い意味の言葉を多用するとかえって胡散臭くて信用出来なくなるんだなと実感したからだ。


なんちゅーかですね、彼らはその商売柄、いろんなアフィリエイト商品を絶賛するんですね。プロブロガーにもピンからキリまでいて、上位ランクの奴は多彩な語彙を使用して見事だと思う文章を書くんですよ。だけどさ、その文章の鮮やかさってのは一過性のものだと感じた。


上手い文章を書くなぁと思って、幾つか過去のエントリーを辿るとワンパターンですぐにウンザリするブログは、紋切り型の言葉を多用する印象がある。紋切り型は確かに強いインパクトを読者に与えるんだけど、全体の文意が薄くてぼんやりとしてしまったものになるんだ。作者の思惑以上の文章になったりするけど、そもそもの文意に内容が無いから竜頭蛇尾な悪文だ。


いやまぁ、ある程度文章を読み慣れた方で僕のブログを読み込んでる読者なら「お前が言うなよ!」とツッコムのは分かるんだけど、僕がステレオタイプな表現を使うのは意図してそんな読み味の文章を書く為だったりする。ブログの文章で村上春樹ばりの比喩表現なんて使うと読み辛くてすぐにブラウザバックですよ。ブログの文章ってのは、スラスラ読めて読み手の想像を裏切らない事が求められている。小説みたいに描写するために細かく事柄を散りばめた文章は、ブログだと悪文だ。ブログなりの文章技法って結構クセがあるなーってのは長年ブログを書いてきてからの感想だ。


例えばブログなりの文章技法って、太字とか文字色で読ませたい部分を強調する方法がある。これが上手いブログの文章は、ストレスなくスラスラ読めるクリアな読み味になる。僕が知ってるブロガーだと「今日はヒトデ祭りだぞ!」のヒトデさんはこれがめっちゃ上手い。


www.hitode-festival.com


ヒトデ祭りは結構な長文のエントリーばかりだけどストレスなく読める。口語体なんだけど、語彙力がすげーなと思う。割と理想的なブログの文章だ。


後は見出しなんかを使って段落分けした方が良いってのは定説だけど、あれはクローラーを意識したものであって人間視点ではない。


ああいう見出しを多用したドキュメントが推奨されるのはHTMLだからですよ。機械が読む文書だからこそ構造化が重要なんだけど、その理由は忘れ去られている。人間に読ませたい文章ならは見出しは邪魔。ブログの文章ってエッセイ的な所があるのに構造化した文書にする必要があるんだろうか?そういうデメリットまで全然考え及ばないのにやたらもてはやされてる気がするな。


SEO的な事を考えるならば仕方ないって言うかもしれないけど、構造化された文書とされてない文書でそれ程大きな差があるかなぁ?僕のブログは全然、見出しなんか使わないけど全体の8割ぐらいは検索流入だ。ミドルワードぐらいの規模でGoogle1位を取ってるエントリーもいくつかある。Googleクローラーって、すでに自然言語の解読がかなり高精度になってるから構造化しなくても読み取ってくれる。それよりは読んだ人が納得できるような内容の充実に努めた方がいい。


あとは強過ぎる言葉のデメリットなんかを説明していきましょうか。


「ゲス」とか「社畜」とかの強い意味を持つ言葉は目を引く。プロブロガー人種なんかのブログ講座では、こう言う強い言葉をタイトルなどに持ってきてインパクトをつけろと教えるが、やめといた方が良い。


初見の読者なんかにはインパクトがあるんだけど、二度三度と読み返してみると強い言葉は不愉快になってくる。それと、人間は刺激に慣れてくるともっと強い刺激じゃないと感じなくなるという性質がある。オオカミ少年じゃないけど、不必要な煽り文を何度も使ってると、そのうち誰も相手にしなくなってくるんだ。やたら強い言葉ばっかり使ってるブログはアジテーションのチラシみたいになる。そういうブログは初見ですら避ける。


ブログでのコミュニケーションってのは長いスパンを見据えた付き合い方が必要になる。表面的な派手さより、その人となりが伝わってくる丁寧さが必要なんだ。別に難しい理屈を語ろうとしているのではない。その文章を読んだ時に、興味を持てるような内容がきちんとある事がブログの文章法では一番重要。内容が無い文章ばっか押し付けてくる奴はどんなにテクニック使っても飽きられるもんだ。

人生を楽に生きる為には複数のコミュニティに属してた方がいいよ。


沖縄は多分、今日で梅雨明けだなぁ。ずっと雨降ってたんだけど、今日から晴れ間が覗くようになった。週間天気予報を見てもずっと晴れ。今は外から蝉の声がする。蝉の声は5月からしてた気がするな。僕が住んでる場所は都市近郊の住宅街なんだけど、結構、自然が残ってるから蝉もたくさんいる。昔は蛍もいた。不思議なんだけど、水辺じゃないのに蛍がたくさん飛んでいる場所があったんだ。ありゃ何て種類の蛍だろうな?ゲンジボタルでは無いよな多分。


つい先日までは沖縄は記録的な大雨だったんだ。そこらへん中、冠水してヤバかった。北部にも結構降ったらしくてほとんどのダムの貯水率が100%以上を超えているんだってさ。羽地ダムでは越流してるんだって。


なんで北部のダムなどというどうでも良い話を出したかと言うと、うちの妹は重度のダムマニアであり、ダムの貯水率などという一般人は全く興味が無いであろう話を嬉々としてするのである。妹の言によると「越流に興味が無い貴様は人生の半分以上を損してる」との事だ。越流って素人に言っても意味分かんないよね。越流ってのは貯水率が100%を超えた時に水を放水する事。ダムマニアはこれを有難がる。


ひょっとしたら今週末は北部のダム回りに連れ回されるかもしれない。なんかさ妹に連れ回されているうちに僕も結構、ダムに詳しくなってきてるんだよね。比謝川に連なってるダムは全部回った。国頭の奥地にある様なダムまではまだ行ったことがないな。しかしまぁ何が良いのかは未だによく分からぬ。


じゃまぁ、本題に入るとしよう。今日の本題は人生、楽に生きる為にはいろんなコミュニティに属してた方がいいよってお話だ。


僕が今回こんな話をしようと思ったのはネコ師匠がこんな事書いてたからなんだよね。


gattolibero.hatenablog.com


ああなるほどー、と共感した。こんな事を書いている。

あっちのサークル、こっちのサークル、いろんなところに自分の居場所を確保できて、上手に立ち回ることができる人間は、スイスイとアメンボのように世の中を渡っていけるわけよ。

どこか一つのコミュニティで総スカンを食らって締め出されたとしても、それによって人生に絶望することなんてないからね。

自分の心のよりどころをバランスよく分散していれば、ダメージが少ない。

持ち前のコミュニケーション能力を駆使して、また新たな人間関係、新たなコミュニティを開拓していけばいいだけのこと。


例えばさ、いじめにあってる小学生なんかがいた時は学校に居場所がない訳よ。だから、家で家族が受け皿にならない時なんかは最悪で、その子は自殺しちゃったりする。だけど、もし、その子が属することが出来る居場所があれば救われたりするのね。


ちなみに以前もこう言う事に関する話題を書いている。下記だ。


yuki-2021.hatenablog.com


僕が居場所が無い人にオススメする場所は図書館だ。あそこはどんな身分の人がどれだけ長居しても嫌がられない。空想の世界にどっぷり浸かると、現実の嫌な事とかどうでもよくなるよ。


他にはネコ師匠のオススメだけどTwitterなんかも良いかもね。ネットコミュニティはお手軽に入る事が出来るので逃げ場所としては良い。


まぁ逃走経路は複数用意しておくのが人生のコツですよ。例えば、会社に全てのアイデンティティを置いてしまうと、リストラされたり倒産した時のリスクをモロに受ける事になる。また、会社は60歳になると定年退職になるからね。定年退職後に燃え尽きて、一日中TVをみて何もしない老人もいるんだってさ。


別に、すぐさまカルチャーセンターに行ったり公園に行ったりして友達作りしろと言ってる訳じゃない。この所属するコミュニティはネット上のもので十分だ。例えばはてなブログなんて、すぐに仲間ができてなかなかに優秀なコミュニティですぜ。ま、どんな所に所属するかはあなた次第だ。


後は資産運用の為の投資でもおんなじ考え方をするけど、リスクは分散するべきだ。例えば、はてなブログ一箇所に絞った時に炎上すると、逃げ場所が無くなってかなり辛い。僕的にはネット上に匿名アカウントを複数用意して、ペルソナ使い分けるのがオススメだ。僕の場合ははてなブログ、pixiv、ニコ動でペルソナ使い分けてる。他にもSNSFacebookとかTwitterとかInstagramとか色々あるはずだ。自分の好きなSNSで複数の居場所を用意しておくと、なかなかに生きやすくなる。無論、リアルの趣味の人間関係でもいい。


まぁ今回紹介した方法はある程度の人生経験を積んだ人なら知ってるはずだ。人生を楽に生きる為には複数コミュニティに参加するのがオススメです。

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