超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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言葉はどこから生まれるのか?

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休日は本来、小説を書く日なんだけど、なんやかんや他のことをやっているとさっぱり書けない。別に文章自体が書けなくなっているというわけではないんだけど、長い文章にかける情熱が微妙に落ち込んでしまっていると思う。他の創作関係の事もできなくなっているんだよね。何かしら暑中見舞い用のイラストでも描こうかなと企んでいたんだけど、あっという間に8月に突入してしまった。暑中見舞いってのは7月いっぱいに送った時に成立するものらしいね、8月に送る時は残暑見舞いなんだとさ。どーしたもんかな?8月でも何かしらイラスト描いて載せておいた方がいい?僕のイラストってのはごくごく微妙なデキのものしか描けないぞ?どんなもん描いてるかというとこんな感じ。


yuki-2021.hatenablog.com


僕の趣味ってのはイラスト描いたり、二次創作小説書いたりなんてものなのでそれさえやってれば幸せを感じる。だけど、最近、なんだか煮詰まった感じなんだよね。年齢のせいなのかとも考えているんだけど、僕は多分、いつまでもイラストを描いて、小説を書いていれば幸せなんだと思う。


ブログに書く文章ってのは僕の極めて浅い部分で考えたことしか書かれていないんだ。僕の考えていることをちゃんと示そうと思うならば2000字では少なすぎる。ちょっとしたコミュニケーションの機知を書こうとしただけでも、寓話を示さないと表現できない。時を越えた恋人を書こうとした時に出来上がった作品が下記。東方二次の作品なんだけど普遍的な物語の形ができているかと思う。


www.pixiv.net


オリジナルも書けないわけではないんだが、二次創作の時がキャラクターが生き生きしているんだよね。オリジナルを書くと、設定が異常に難しくなってしまって筋を書くどころじゃなくなるのよ。設定マニアのところがあるもんだから、実際の執筆に入る以前に設定が膨らみすぎて文章にまとめる事ができなくなってしまう。僕が東方を愛するところはそういう理由もある。設定がコンパクトにまとまっていてちょっとした話を作る時に、頭を悩まさなくても済むという所があるからだ。それ以前に日本の原風景を表現してくれる舞台背景なんかでビビットに動いているキャラクターが好きだという理由もあるんだけどね。


だけど、一体、この書こうとしている文章がどこから生み出されているのか不安になった。コンプレックスを元にして生み出された文章ならば、コンプレックスが解消された時に文章が書けなくなってしまう。ブログで毎日、文章を書くということは、大量に容量を持っている様に見える水槽だけどちょっとずつ小出しにしていくことで文章が書けなくなってしまうんじゃないか?これが結構怖いんだ。


ブログで書いている文章ってのは内面に関わる内容というよりは、他人と交わった時に発生する火花の様な文章なんだ。僕の心の内容は一言二言の言葉で表現できる様なものじゃない。寓話でもって示されるような物なんだ。単純に共感されたりするのは望んでいない。大量の例え話を重ねた上で、モザイクの様に示されるものじゃないかと思っているんだ。


自分自身でも言葉を紡ぐ理由というのはよく分かっていない。このブログでは大量の文章を書き連ねてきたから、読み返したならば自分の一部でも分かるんじゃないかと思ったんだけど、ブログで書く文章ってのは内面には触れない文章らしい。意味があるようで無いような文章ばかりだ。ペルソナをしっかりとまとった上での文章であって、自分の内面を抉る様な文章ってのは書いていないんだ。慎重に真意を避けた文章ばかりであって、こんなものをいくら書き連ねたところで自分が表現したいものにはならないだろうなと思う。


ちゃんとした文章を書かないといけない。いたずらに時間を使って暇つぶしの文章ばかり書いているのでは、自分の真意すら濁っていく様な気がする。僕が仮定している理論がある。人生では一定量の文章しか書くことができない。だからこそ、伝えるべき人に伝わる言葉を書かないといけないんだ。数多くの人に伝わるだけがいい文章じゃ無い。たった一人でも真に心を動かす文章を書けないか?というのが僕の今の課題だ。

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