超メモ帳(Web式)@復活

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統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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「脳はなにかと言い訳する」(池谷裕二)を読んだ。

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ネタ切れ。日常生活で何かしら書くべきことがあるかと見回してみたが、特に書くような事はない。


台風三号が本土に行ったね。台風三号はすごい勢いで沖縄のそばを通過していったので、意識もしないうちに去ってしまった。ていうか、沖縄県民にとっては台風は毎年、夏には日常茶飯事で通り過ぎていくから何かしらの感慨を持つものではないのよね。むしろ、台風が来たら学校や会社が休みになるからみんな喜ぶ。台風が来たときはみんなで遊びに行く日である。台風の日にはボーリング場とかカラオケは満員になるんだ。沖縄で台風で怪我したりするのはよっぽど不注意な奴か老人ばっかりだ。例えば死亡事故は、暴風域のときにサーフィンで沖にでて流されるやつとかぐらいだな。家屋も全部鉄筋コンクリート造りだし、サンゴ礁の上にある島だから土壌に保水性がない。その為、大規模ながけ崩れなんかは起こらない。だから、台風が内地に行って死人が出たりするのは逆にビビるんだよね。宮崎にいる友人から聞いたことがあるけど、九州辺りに上陸するときが台風の勢いが全盛期になってるらしいね。沖縄の台風はできたてで未熟な状態だからそんなに強くないんだってさ。とは言え、2発も3発も隔週で来たりすると流石に沖縄県民でもうんざりするんだけどな。台風の当たり年にはそういうことがよくある。デイゴが満開の年は台風がよく来るという俗説がある。今年は満開だった。


今日は池谷裕二の「脳はなにかと言い訳をする」を読了したので、参考になったことなんかを書こうかな。


池谷裕二東京大学の准教授。脳科学の有名人だから知っている人も多いだろう。本著は本格的な脳科学の論文とかではなくて、脳に関するエッセイ集。あとがきで池谷氏は気楽に書いたエッセイなので自然科学的な緻密さはないかもしれないと断っている。でもまぁ、幅広い分野を取り扱っているので最近の脳科学を鳥瞰的に見直すにはちょうどよいぐらいの硬さの本ではないだろうか?どうしても気になる人は、巻末に参照文献でちゃんと論文をまとめてあるからそこから取り寄せて読んでおけばいいだろう。脳科学の入門書としてはフロイド・E・ブルームの「新・脳の探検」がおすすめかな。ブルーバックス文庫でまとめられている。


新・脳の探検(上)―脳・神経系の基本地図をたどる (ブルーバックス)

新・脳の探検(上)―脳・神経系の基本地図をたどる (ブルーバックス)


新・脳の探検(下)―脳から「心」と「行動」を見る (ブルーバックス)

新・脳の探検(下)―脳から「心」と「行動」を見る (ブルーバックス)


それはともかく池谷氏の「脳はなにかと言い訳をする」ですよ。2010年に初版発行だけど、その頃の最新情報が色々と紹介されている。文章も柔らかくて読みやすいんだわ。受動意識仮説についても書かれていた。

リベットという研究者の行った有名な実験があります。被験者に「ボタンを好きなときに押してください」と言っておいて、被験者がボタンを押したときの脳の活動を調べました。当然、常識から考えれば、まず「押そう」という意思が生まれて、そして運動をプログラムする脳部位が活動して、そして、手指にボタンを押せという指令が送られるのだろうと考えられます。

ところが結果は違ったのです。なんとボタンを押したくなる意思が生まれるよりも前に(長いと一秒ぐらいも前に)、脳の「運動前野」がすでに準備を始めていることがわかりました。つまり、最初に脳の活動が生まれ、次に「押そう」という意思が生まれ、そして指令が出されて「手が動く」というメカニズムだったのです。

自分の意思でボタンを押しているような気がしているけど、実は、脳の動きのほうが先で、意識はずっと後だったということで、つまるところ人間に自由意思があるといえるだろうか、という議論が出てきたのです。


科学的な見地からは、自由意志はおそらく”ない”だろうといわれています。


池谷裕二 脳はなにかと言い訳する p164-165


この実験でわかったことは人間の意識ってのは、曖昧さの上に成り立っていて、我々が自我が信じているような自由意志はないだろうということだった。この後で解説されることによると、意思というのは脳の化学物質の「ゆらぎ」によって生み出されているということだ。例えば、何も考えずにぼんやりしているときでも、「お腹がすいた」だの「スマホが気になる」だの「あの子、かわいい」だの煩悩が大量発生するでしょ?人間の意思ってのはこうやって大量の生み出される雑念によって体が動かされるのを「中断」する方が意志の力らしいです。

仮に私に、他人を殴りたいという衝動が生まれたとしましょう。これは脳が自動的に発する意思なので、その願望自体はさすがに仕方ありません。そこには自由はありません。でも、殴ることを止めることはできます。喧嘩して殺してやろうという意思がもし生まれたとしても、その意志を行動に移すのを止める事はできます。<自由意志>はないけれども、<自由否定>はできるわけです。


池谷裕二 脳はなにかと言い訳する p171


人間の自我って自由度があるようで相当に環境に制限されているって事だ。このあたりを認知科学で論理化したのがアフォーダンスだと思うんだけど、それは、本書では特に論じられてなかったな。アフォーダンスは人間の体と環境によって無意識は制限されて適応した行動しかできないという理論なんだ。僕は卒論がアフォーダンスだったからな。脳科学の受動意識仮説と認知科学アフォーダンスがリンクしているんじゃないかって気がして知的好奇心が湧く。


池谷裕二の「脳はなにかと言い訳する」は受動意識仮説以外にもいろんな脳科学の最新情報が載っていておすすめですぜ。


脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)

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