超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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最近、どうにも読書量が少なくて困ってる。


今日は月一の習慣である図書館通いで本を借りてきた。借りた本をリストにしておくか。


図書館で借りてくるのは、エッセイ・小説などだね。新書とか自己啓発本なんかはkindle unlimitedで読んでいる。これは得意分野の使い分けだと思っている。エッセイ・小説なんかはどれだけ時間が過ぎようとも色褪せることはないので古典を数多く揃えている図書館が有利。新書とか自己啓発本はちょっとでも鮮度が落ちると陳腐化するんですね。それにリアル書店で買っても本棚を圧迫して、すぐさまブックオフに走る事になる。電子書籍が有利だ。しかもkindle unlimitedは月980円で読み放題なんだね。読める本には偏りがあるが、活字中毒で本なら何でもいい僕にはありがたいサービスだ。いやまぁ、他人に勧めるほど良いサービスでは無いんだけどね。自費出版の本なら殆ど無料で読める。980円なら図書館へのバス代往復ぐらいと同額だしな。別に許容範囲。


図書館ではエッセイを必ず借りる様にしてるんだよね。僕はエッセイストでは椎名誠を一番尊敬している。彼の文体である昭和軽薄体をコピーできないだろうかと思っているのだ。北杜夫なんかも好きだな。どくとるマンボウ航海記は楽しく読ませてもらった。遠藤周作の狐狸庵先生にも多大なる影響を受けている。まぁ基本的にはドタバタした文体が好きなんでしょうな。
今日は瀬戸内寂聴司馬遼太郎の本を借りてきた。どっちも偉大なるエッセイ書きだ。


僕はブログをエッセイのカーボンコピーぐらいの位置付けで捉えている所がある。流石にエッセイと同じ、とまでは強弁する気にはなれんな。ブログがどの程度、文学的な行為なのかってのは、僕はかなり低く見てると思う。兼好法師から続く、純然たる随筆の進化系だとは思うが、簡単に更新できちゃうから文章に込められる心的圧力は低いままに留まってるんじゃなかろうか?


まぁいいや、かなりの偏見あるエッセイ論を書いたが、ブログで本当のエッセイを書いている方もいらっしゃる。


parupuntenobu.hatenablog.jp


Beのぶ氏は文章の量、質共にただ事ではない。しかも実際に現場に足を運んだ検証記事を毎日のように更新してる。お手軽コタツ記事ばかりの僕は恥ずかしくなっちゃう。ブログでエッセイを書いていると自認するにはこれぐらいの物量は保持してないといけないだろう。beのぶ氏がエッセイを書く事について書いた、参考になる記事があった。


parupuntenobu.hatenablog.jp


当たり前の話なんだけど、量を読まないといい文章は書けないのね。そこんところを勘違いしている奴は案外多い。


僕は毎日ブログで2000字を更新する事を義務化してるんだけど、これは存外にしんどい。ふと気を抜くとどうでもいいことしか書いてないのよ。295日連続更新しているから、すでに書くことは日々の習慣になっており、夕食後に一時間ほどiPhoneで執筆している。僕は書く事が好きなのでこの後に日記も書いている。一日4000字程度はアウトプットしてる訳ね。毎日これだけ書いてるとブログ執筆は歯磨き程度には気楽。よく、毎日更新が苦しいと新人ブロガーが嘆いているが、毎日書くだけなら別に難しくない。問題は書いた文章に意味を含めることだ。


だから、ブロガーはネタ集めが最重要事項なのよ。日々ネットニュースをかき集め、他人の更新を目を皿にして読み漁り、本を乱読するのは必須。これをやってないとどうでもいい事しか書けなくなる。


僕はインプット量が最近低くて困ってる。月に10冊以下しか本が読めていない。図書館で借りてきた本も一カ月で読めなくて延長する体たらく。僕は小説も書くからインプットが少ないのは致命傷なのよ。最近のブログの文章は、イラストで言うところの手グセで書いている。執筆時に何も考えずになんとなくいい事しか書いていない。


だが、そこまで悲観はしていない。知識量ってのはアウトプットしてると線形じゃなく複利で増えていくものだからだ。雪玉が転がるようにどんどん大きくなって勢いがついてやればやるほどやりやすくなるものなのだ。インプットに気をつけた上でアウトプットして両輪を回せば、指数関数的に知識量は増えていく。


まぁ真面目に本を読む時間を設けないといかんだろうな。せめて月に10冊は本を読みたい。そして書評も書くようにしていきたい。

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