超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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我々はそれぞれの道を歩んでいる。道が交わることはあれど同じ道はない。

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いきなりの阿部高和から始まるこどもの日のエントリー。当ブログはR18推奨です。お子様に見せて気まずくなったって責任は取れません。まぁ僕にいきなりアダルティな話題を提供せよと迫られても「Onちゃんの中身は安田顕」などとよく分からん事しか口走らない全年齢向けブロガーだけどね。いやはや難しいものだね、アダルトな話題を書くことは。

 

まぁいいのだ。当ブログはGW中は30分程度で書ける適当な内容しか提供できません。GWは休むのだ。今、休みしか出来ない小説執筆を頑張っているところなのだ。今日はどうするかね。適当な日常的哲学エントリーでお茶を濁そうじゃないか。

 

前置き。本日のネット巡回で気になった記事を紹介。

 

togetter.com

 

togetter.com

 

ガソリン車に軽油入れるのを強要するおばさんの話題で盛り上がっていた。なんだろうね、自動車教習所で最初に教えなかったっけ?教わらなかった?僕は自動車教習所で教官から言われた覚えがあるけどなぁ。世の中のおばさま方は軽自動車は軽油という発想でむりやりガソリン車に軽油を入れて車を壊すらしい。いやはや。しかしながらBMWとかのアメ車にはたまにガソリン車に見えてディーゼルエンジン積んでいる場合もあるらしいね。昔は給油口の裏側に「無鉛」「レギュラー」とかのステッカーが貼られていなかった?あれ復活させりゃいいのにね。ブコメを読んでいて面白いなと思った発想はこれ。

 

軽自動車で来たお客様「軽油で」店員「ガソリンエンジンなのでレギュラーですが…」 - Togetter

これだから日本は。Appleなら、間違いないようにノズルの形を変えて、給油口と合致しないと給油できないようにする。そして、規格は4年位でコロコロ変えて、アタッチメントを購入に嬉しい悲鳴。

2017/05/05 00:01

b.hatena.ne.jp

 

なるほど、そりゃアリだ。しかしながらappleのライトニングケーブル商法は計算外の事ばっかり起こりがちなので海賊版があらわれて中国が儲かるという「風が吹けば桶屋が儲かる」形式のなにかが起こるかもしれない。トヨタあたりが本気出せば何か変わるのではなかろうか。

 

では、本題に入ろうかな。とはいえ、今日はお手軽日常哲学エントリーだ。意味がありそうで無いことをダラダラと書いているだけだ。僕はかつて哲学青年だったのだが、その実態は「ソフィーの世界」や「文学部唯野教授」の受け売りを偉そうに語ってマウンティングするだけのマウンティングゴリラだったので、本格的な哲学話題を提供せよと言われても困る。でも、web上では哲学ってのもピンからキリまであるもんで、本格的にカントの純粋理性批判を考察して道徳なんかを考察しているサイトもあれば、只の個人の思いつき程度の事を大上段に哲学などと強弁して哲学者を名乗るブログなんかもある。

1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論倫理学・美学などの領域を含む。


2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」「人生―」


てつがく【哲学】の意味 - goo国語辞書


ま、2の意味もあるから個人の経験や考え方を哲学と言ってもいいんだけどね。だけど、この程度で哲学者とまで名乗ると恥ずかしくはなかろうかとも思う。いやまぁ、辞書的なスキームを提示するだけではなく、スキームを固定して論理を構築できなきゃ僕も似たようなもんだ。

 

僕の哲学観はね「真実は1つでも現実は見た人の数だけ」って言葉で説明できると思う。それぞれが知性を持つすべての人が世界観を保持していて、言葉で情報は交流すれども完璧な他人の理解は不可能だという考え方。後は、世界観などのキーワードの説明が必要になってくるかなともおもうが、文化圏などによるフィルタリングでもって個人は世界を認識しており純粋な外界を認識することは不可能だと定義する。

 

要するに、「人間は何も分かっていない」って事を難しく言い直しただけだ。こんな分からないことばかりの世界で何故、人々はコミュニケーションを取ろうとするのかというモチベーションの部分を考えたら「人は、分からないから好きになる」っていう妙に詩的な表現が生まれた。これは小説に使えそうだ。

 

今日はこんな感じ。じゃ、また明日。

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