超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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そこになおれ!しかたねー、僕が幸せになる方法を教えてやる!

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寒いねー。今季最大の寒気が来てるんだってさ。沖縄でも最低気温12度ぐらいでさ、ふつーに寒いのさ。まぁ内地基準で考えれば全然温かい方だと思うんだけど、沖縄では気温が10度下回ると新聞の一面になるよ? 去年、みぞれが降って大騒ぎになったのさ。それぐらいの南国だとは認識しといてください。


一応さ、僕は内地企業に就職してたから、岡山に3年ぐらい住んでたことがあるの。そこで初めての雪に出くわした。沖縄県民が雪に遭遇するとどんな反応するのか想像通りの反応してたと思う。5cmぐらいの積雪なのに一人で駐車場で雪合戦して、隣人に不審な顔されながら雪だるま作って駐車場で飾ってた。雪が降っただけでいい大人がガキみたいにはしゃいでたら沖縄県民なので生暖かい目で観察してやろう。あとから岡山の人に聞くと、岡山は瀬戸内海気候で雪が降ること自体が珍しいんだってさ。まぁ言っちゃ何だが、岡山はど田舎だよ。駅前周辺以外で遊ぶ場所が無くて凄い退屈な土地だった。2chで大都会岡山と皮肉られるのも納得である。沖縄の那覇のほうがまだ栄えているぐらいだ。


さて本題。なんかさー、不幸そうな人を最近見かけるのさ。まさか面と向かって「貴方、不幸ですか?」とか聞いたら変な宗教だし、相談に乗って不幸の思考のループに巻き込まれるのも勘弁なのである。とはいえ、シカトぶっこくのも可哀想な話であるし、ブログなどで啓蒙活動することで世の中を少しでも良くしようという僕らしくない健全な考えを持ったのである。


なぜこんな捻くれた書き方をするのか、僕の取り扱い方を未だ認識していない人に向けて僕の取説などを書いていこう。西野カナの「トリセツ」を結婚式で替え歌で歌うのが流行っているらしいじゃないですか? 僕的にはそういうのは「死んでも嫌だ」という立場は変わらないのだが、僕みたいな複雑そうに見えて単純だけどちょっとデリケートな部分を取り違えると一生ものの障害を残すという欠陥商品はトリセツを付けとかないと即リコール対象だろう。


僕の取り扱い方で気をつけないといけないのは重度の隠れヲタだということだ。一般人の友達などに向けては「好きな音楽は何聞いてるの?」とか聞かれると「Daft Punkとかケミカル・ブラザーズとかかな? ちょっとオタクな所があるからcapsuleとかPerfumeも聞くんだ。 ボカロ? あぁ若い頃聞いてたよ。最近ニコ動廃れてるよね」などと必死に都会派アピールするのである。だが実体は、一人きりになると、いいオッサンが頬を赤らめて揺れ動く乙女の心境などを想像しながら百合小説をシコシコ書いてるのである。東方アレンジ曲に感動して大真面目に涙していることもある。引かないでよ? 僕は真面目な話をしてるんだ。


僕のこの辺りの性質を理解してくれる人じゃないと心の底から信頼して付き合うことはできないだろう。この部分を馬鹿にされると家族であってもかなりシリアスなキレ方をする。逆に言うと、ここさえ理解してたら親友並みの付き合いができるのだ。面倒くさいやつとは自分でも理解している。オープンなヲタは本気で尊敬に値すると思う。僕はまだ信心が足りないのだろう。ちょっとしたグッズとかもバレたらどうしようと躊躇して買えないのである。フィギュアとかは一つも所有してない。東方の十六夜咲夜スマホケースでちょっとクールなやつがあったのでポチろうかなと思ったのだけど、買ったとしても家でしか使えないじゃないかという考えに至り、取りやめた。最近の若い子はオープンヲタが普通らしいので本気で羨ましい。


さて、なんの話だっけ? あぁ幸せになる方法だったね。ちょろっと書いてやろうではないか。


まずはさ、自分を理解していないと駄目だよ。僕的の幸せになる方法は村上春樹流なのさ。村上春樹がどっかのエッセイで幸せになる方法を書いていた。「幸せになるためには小確幸のリストを長くしていくことだ」ということらしい。


小確幸というのは、「小さくて確実な幸せ」という言葉の略である。具体的には「冬の寒い日にコンビニで肉まんを買ったら幸せ」とか「午後3時の休憩タイムはチョコレートとブラックコーヒー」とか「週末金曜日には焼鳥とチューハイを買ってきて一人映画上映会」とかである。こういう「小さくて確実な幸せ」のリストを長くしていくことが人生を充実させるコツである。


ある程度、人生経験積んでいる人はこの考え方は理解しているんだが、なんか大げさな思想に嵌まり込んでいる奴は理解できないらしい。幸せになるためには何か大変な勉強や努力をして、人生に対して挑戦し続けて成功しないといけないと洗脳されている。僕的にはこういう奴は「カモ」と呼ぶ。彼らも人生の何処かで気づくと思うが、こういう毒を売り続ける商売の人間の策略に見事にハマっているのである。具体的には、自己啓発系で洗脳されている奴らは一般人を馬鹿にする意識高い系になる。こういう思想はいくら突き詰めようが幸せになれない。一生を食い物にされるからこそ僕は彼らを「カモ」と呼ぶのである。


これ以外にも変な宗教にハマっているやつも「~しなければ幸せになれない」と考えているね。この「すべき思考」は精神病にもつながる思考の歪みである。一々、人の目を気にしないと生きられない不幸な考え方だ。さっさと気づいて振りほどこう。


哲学者のアランは著書「幸福論」で不幸の原因について次のように述べた。赤ちゃんが泣きやまないときに周りの人たちは、お腹がすいているのか、おむつが汚れているのか、それとも病気なのか? いろいろと赤ん坊が泣き止まない理由を試行錯誤し続けたが、乳母は産着のピンがちゃんと止められていなかったことに気がついた。それを取り除いてやると赤ちゃんはすぐに泣き止んだ。


不幸はこんなピンみたいな存在なのよ。不幸だ不幸だと大騒ぎするのじゃなく、具体的な原因(ピン)を取り除いてやると何事もなかったように普通に戻る。幸せな人というのは具体的な考え方ができる人だ。村上春樹小確幸も具体的なリストを作るという方法論だ。大騒ぎするんじゃなくてまずは足元をちゃんと見てみなさいよ。


幸福論 (岩波文庫)

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