超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕が歴史小説で書きたい偉人は稗田阿礼です。

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春節ですな。沖縄では旧正月はウミンチュが盛大にお祭りする。沖縄は文化圏的には中国と一緒ですからな。旧暦で色んなイベントが有るのです。

 

僕の住んでる地域ではヒノカンにウサンデーする程度だが、糸満辺りでは新正月よりは旧正月の方を重視する。なんでウミンチュだけが旧正月をお祝いする文化が残ったのかは良くわからない。那覇辺りは普通に新正月である。でも家系に漁師の生まれがいたりすると新正月と旧正月を両方やるね。旧正月は廃れつつある文化だけど大事にしたいものだ。

 

ドラマ「嫌われる勇気」第三話を見たんだけど、脳に印象に全く残らないレベルで凄すぎて逆にビビるな。刑事ドラマにする必要が全く感じられない。一応、ワンクールは見てやろうと思っているから、ちゃんと目を通したけど、どんな話だったか思い出せない。学校で殺人事件が起こって、天才女子高生と主人公の女刑事が頭脳バトルをしたとかそれぐらい。出演している登場人物が全部アニメチックというか、キャラクターの掘り下げ方がペラペラで類型的過ぎる。さくさく観れるけど印象に残らないのはそのせいだろうな。観ていてストレスは溜まらないのよ、何の葛藤もないから。

 

西村京太郎とか赤川次郎クラスのひねりの無さだと思う。西村京太郎のトラベルミステリーとか読まれずに否定されがちだと思うけど、実際に読んでみても本当に読後に何も残らない作品を書いちゃってるから馬鹿にされても仕方ないとは思う。長時間、旅行で電車に乗ったりする人が暇つぶしに読む以外にあえて読む理由もないだろう。よく、平日の午後三時ぐらいにやってる何の興味も持てそうにないミステリードラマがあるでしょ? あれは割と忠実にこういう作者が書いた推理小説を再現しているのよ。原作を読んでまでこの手の推理ドラマを観たことはないけど、多分、文章をそっくりそのまま映像化したらあんな感じになるのだと思う。東野圭吾が「黒笑小説」でこういうミステリードラマをパロディにしているけど、映像化専門の推理小説を書いている作家がいるらしいね。東野圭吾も温泉地を舞台にして最後は断崖絶壁で締める様な作品をTV局のプロデューサーに依頼されたことがあるという。もし東野圭吾がそんな依頼を受けて小銭稼ぎをするような事をしていたら、「ガリレオ」シリーズも、「流星の絆」も生み出されなかっただろう。商業作家には自分の才能を推し量った上での戦略性が必要なのである。

 

「嫌われる勇気」は原作がないから脚本家がそのまま台本を書いてる感じなんだろう。なんとなく、みんなこういう話好きでしょ?って感じのエピソードの寄せ集めな感じ。ちゃんと1流の人が台本を書いているとは思う。この業界の流行りはきちんと取り入れた感じ。だけど、観た後に何も残らない。やっぱ小説家が書いた原作というのは、物語の原型に突き動かされていて多くの人の共感を取ろうとしているから人を引きつけるパワーがあるのだろう。頭だけで書いた脚本ってのは心を動かせない。ドロドロした無意識と格闘した物語ってのは読んだ人の人生を変えるパワーがあるのよ。

 

さて、話が全く変わるが、僕が書きたい小説のテーマみたいな物を語っていこうかなと思う。表題のお話である。前置きとは完全にリンクしているとは言えないけど、ある程度は関係あるって感じの話かな。

 

以前、歴史小説と二次創作小説はよく似ているという旨の文章を書いたことが有る。

 

www.ituki-yu2.net

 

冲方丁さんが創作について話していることを聞いたことが有るんだけど、彼の考え方はまんま二次創作作家と一緒である。冲方丁さんは「天地明察」とか「光圀伝」とか「はなとゆめ」とかの歴史小説を書いているけど、歴史的な偉人たちをキャラ萌えで転がした結果できた物語がこれらの作品である。創作の仕方が、僕が東方のキャラクターで萌えまくって自分の好みのシチュエーションを作りたいが故に東方二次小説まで書いてしまったというのとそんなに変わりない。冲方丁さんは歴史萌え!なヲタなんである。「冲方式ストーリー創作塾」も読んでみて、二次創作書けるやつは歴史小説も書けるなとの認識を深めた。

 

それで僕も歴史小説を書けないかなーと思っているんだけど、歴史の偉人の誰を書こう?という点で有る一人の人物に興味がある。

 

古事記の編纂者の「稗田阿礼」である。なんかね、シャーマンに近い人物だったらしいんだけど、一度聞いた話を忘れない「求聞持法」の能力を持った天才だったらしい。それで、男性らしいとは言われているが実は女性かもしれないと言う説もある。天皇から話を聞いて誦習してそれを一冊の書籍「古事記」にまとめた。神話と歴史の間の時代の人である。実際に稗田阿礼を神として崇めた神社も有るしな。普通に稗田阿礼の人生を書くだけでファンタジーになりそうだ。

 

僕みたいな東方ヲタが稗田阿礼を書きたいと言い始めてる辺りで誰がモチーフなのかは分かるでしょう? その通り、稗田阿求から発想した事なんである。というか実は、稗田阿求と四季映姫のイチャラブ百合小説を書いたことがあって、歴史背景とかを調べていると、稗田阿求のモデルの人物の稗田阿礼は普通にオリジナルのファンタジーで書ける人物じゃん!という事で書いてみたいという欲求が生まれたのである。まぁそのイチャラブ小説はR18なのでここでは紹介しない。百合が理解できる同好の士じゃないと読んでもドン引きするだけだろうしなぁ。

 

まぁしかし、神道の結構深い所まで突っ込んで調べないといけないという点で少し悩むんだよな。僕の信仰は沖縄の祖先崇拝です。神道の神様にまでなった人物を小説書けるまで調べるということは結構、信仰の本質みたいな部分を問われる可能性があるんだよな。よその神様にそこまで深くコミットしちゃうと、僕の人生の軸をブレさせる可能性も考えなきゃいけない。そんなこと適当でいいじゃんとか言う人は、小説書いたことないでしょ? 僕みたいな二次創作小説であったとしても、書きたいキャラクターをすぐそばにいて呼吸の具合を感じることが出来るというぐらいまで想像力を働かせないと小説は書けないんだぞ。そのあたりを適当にすると話はものすごく薄くなる。興味はあるけど、研究が難しいかもしれない。内地の神社まで行かないといけないっぽいし本当に書けるまでは恐ろしく時間が掛かるかも。

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