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『職業としての小説家』村上春樹著。

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恥ずかしながら文庫化されるまでこんなもんが出版されているとは知りませんでしてな、書店で見かけて慌てて買い求めた。


率直な感想としては村上春樹がこんな本を書いてしまうのかーって感じ。この人は絶対、文章読本みたいな本は書かないと思ってた。まぁ内容は文章に関するエッセイで文章読本とは全然ちがうんだけどね。なんというか、村上春樹は小説の書き方なんて「才能なきゃ無理」とか言ってる人だもの。まぁ「走ることについて語るときに僕の語ること」みたいな、初心者に対して不親切な文章読本みたいな感じの本で自身の神話性を高めていく商法を取っているのかなーと思ってた。だから多少、幻滅もした。でもワナビとして村上春樹の考え方が分かる本はありがたい。そんなアンビバレンツな思いで手に取った。


文章読本についてちょっと触れようかな。ワナビだから文章読本は大量に読むのだけど、文章読本を書くような作家というのはよっぽどの文学界の重鎮でもない限り三流の作家しか居ない。谷崎潤一郎とかも文章読本は書いちゃうけど、「始めてからの~」とか「初心者でも分かる~」みたいな文章読本を書いてるのは、本職で食い詰めてこれを書かないと食っていけない小説家ばっかである。そういう作家が書いた文章読本は、TRICK上田次郎が書いた「なぜベストを尽くさないのか」みたいな本だと思う。文章法はさ、初心者であっても文章をある程度書き慣れている人なら誰でも語れるテーマなのよ。むしろ、手が動かなくて作品をあんまり書けないワナビほど文章法を有難がる。僕も創作法を偉そうに語って手斧を喰らって悶絶したことがある。書いてる本人が思うほど有難がって読まれる文章ではないのよ。だから、添削の例として自分の作品を出してきたり、本の終わりなどに作者が書いた短編を載せてたりすると、満たされない承認欲求をまざまざと見せつけられてしまい、可哀想で、つい手を合わせて拝んでしまう。その文章を載せてしまう心境は分からなくはない。だが、迷って世に出てくるのではなく成仏してほしい。


こんな複雑な思いで村上春樹の「職業としての小説家」を迎え撃った。読了して、やっぱこの人は重鎮の部類に入る人だなと安心した。きっちり小説家人生を歩んできて、ベストセラーを出しまくった村上春樹の創作に掛ける想いが分かる一冊だ。


村上作品は初期三部作の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」は高校生の頃に読んだ。やたらエロい小説だなーという感想しかなかった。


ノルウェイの森」はそれからしばらくして読んだ。僕は「ノルウェイの森」は嫌いである。主人公が女二人をコマせた物語という思いしかない。でも主人公が恋人の家でヘッセの「車輪の下」を一晩掛けて読んでいる部分にやたら共感してしまった。あぁいい感じの自意識過剰の暗い主人公だなーって感じ。


僕が村上作品で一番好きなのは「ねじまき鳥クロニクル」である。ある程度、人生経験を積んだおかけかな? 井戸の底で向こう側の世界に行ってしまい、何かを得て帰ってくるという部分に凄く興奮した思い出がある。村上作品には「壁抜け」と呼ばれる独特の構造がある。精神分析で語ってしまうと、普遍的無意識に深く突っ込んで行って狂気に囚われずに帰ってくる事と言っていいのだろうか? 乱暴すぎるな。これでは村上作品が語っているクオリアを理解できないだろう。人生には深い部分で共感して、それが現実化してしまう現象があると言うのをきっちりと描ききった作品であると思う。


1Q84」や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は村上作品ということで安心して読んでいた。村上作品の描写を読んでいるとリッチな気分になる。本当に贅沢な描写を使う作家だと思う。繰り返し読んで、後々からその語ろうとしていた精神性に気づいてびっくりする作品ばかりだ。


こんな感じで村上作品のフォロワーなので「職業としての小説家」に対する評価は甘々である。僕も弱小ワナビながら文章を書こうと志している人間である。村上春樹の考え方や生活習慣には凄く興味がある。


この本の中では自身の文章を刃物の切れ味に例えて、文章のキレを、剃刀の切れ味からナタの切れ味、今では斧の切れ味になったと例えている。叩き割れる物の重みを増していったということだろう。文章を書き慣れたばかりの人の文章が、剃刀の切れ味というのが何となく分かる。剃刀の切れ味では表層的に笑いをとったり怒らせたりすることは出来るが、相手の心の深い部分までは刺さらないのである。多分、僕がいま書いてる文章は剃刀の切れ味の領域で彷徨っていると思う。これから進化して斧の切れ味まで辿り着いてしまうと、一撃で相手の心を深く抉る表現を書けるようになるのだろう。


村上春樹の作品は、そこいらの作家の様に読んで一時的に関心して終わりというわけではない。雨垂れが長年かけて岩に穴を穿つような、深い心の傷跡を残す。こうなってしまうと完全に手中にハマってしまったようなもので、定期的に村上作品でエッセンスを摂取しないと満足できない体になる。ストーリーが分かっていても、作品を繰り返し読むことで、その時の読んだ人の人生経験に応じた深みを見せてくれるのである。


他にも作家の精神性を作り上げるためにフィジカルを鍛え上げる重要性が語られていてさ、ミーハーだということは分かってるけど、僕もまたランニングに出たくなったよ。人間の精神性は体に宿るものなのである。軟弱な体を持つものが強靭な物語を書くことなんて出来ない。


こんな感じで甘々の書評を終わる。この本も机の辞書の隣のポジションに収まった。


職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

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