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超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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信じる限り、無意味な人生など無い。

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さて、今日は何もしてないぞ。午前中は殆ど寝て、起きたら小説執筆をしていた。時間があるのは休日ぐらいだからね、日曜大工ならぬ日曜作家である。とはいえ、書いているのは二次創作である。こんなものは社会的にはなんの意味も持たない。自分的には折り合いは付けてあるので、書くべき物語に意味を持たせる事はしているのだけども読まれなければ意味は無い。ここが悩ましいところだ。


非現実の王国で」という、世界一長い小説がある。ヘンリー・ダーガーという一生を部屋に引きこもって、ふたなり少女仮想戦記を書き綴った変人の作品だ。この変人に多少、共感するところがあると言ったら、僕も随分と人生を踏み外している事になるんだろう。まぁ、とっくに社会の最底辺だけどね。障害者で無職といったら社会的には死んだも同然の人生である。


表現者というのは、社会的に評価された人だけを指すのではないというのは僕の持論だ。表現したい内面の真理に忠実に生きて、あらゆる手段で表現し続けた人は全て表現者だ。手段はイラスト、小説、プログラミングでもブログでも構わない。何かを書き記して、傷跡を残すことに意味がある。無論、それが世間に認められる事は幸福ではあるが絶対必要かといわれたらそうではない。無名で死んでいった表現者達にも意味はある。


だからヘンリー・ダーガーにも共感するのだ。内面の物語だけを人生の拠り所として、それを表現することだけに尽くした人生だった。彼は幸福とは程遠い生活を送っていた様だが、多分、その人生は満たされたものだった想像できる。物語を表現するというのはそれだけで幸せな事なのだ。誰にも読まれない物語でも自分自身で読んでいて楽しい。書いた作品を一番熱心に読むのは自分自身なのだ。


だから僕は偉そうに言うよ。幸せになりたかったら表現者たれ。手を動かして傷跡を刻め。無名の作者でも誰かに辿り着くことが出来る可能性を捨ててはいけない。技術を学び、バリエーションを増やし、鮮やかに墨痕を残せ。見たものを楽しませる作品作りを忘れるな。でも、自分を捨ててはいけない。魂がこもっていない作品に意味はない。外形だけ美しい作品をなぞっても、自分の我が入っていなければそれは表現ではない。


僕は無名の表現者を探すのも好きでね、稚拙なのにどうしても捨てられない魅力を持っている人ってのも結構いるもんだ。世の中には意図せず書いていたら、リーチするということが案外ある。ネットの海は広大なのに、その作品を必要としている人に辿り着く事がありうる。希望は捨ててはいけない、自分がもっている物語は何故か必要としている人を惹きつけるのだ。

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