超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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プラトーの壁を乗り越えろ。

プラトー (トレーニング) - Wikipedia


物語を書きたい物語を書きたいと呪詛のように何度も言っているのだが、全く書けない。時間がないのもあるけれど、それは言い訳にはしたくない。世の中にいる物語を作る人たち、作家になっている人たち全てが時間があって作品を作っているのではない。日常茶飯事の合間を作って綴っているのだ。それだけの手間を掛けずに言い訳はしたくない。


ベースとなるメモは書き溜めているのだけど、それを一つの作品にまとめることができない。どうも文章を書くときに自己検閲が強くて、すらすらと物語の世界に入っていけないのだ。
物語を書くときは、その世界の中に全神経を集中して没入する必要がある。暇があるときならすぐに出来るだけど、仕事の後に現実世界から物語の世界の中に入っていくのは難しい。


浅田次郎もエッセイの中でそんなことを語っていたように思う。彼は自衛隊に居た頃も、ヤクザをしていた時も、バブルの中で会社の社長をしていた時も、ひたすらに物語を綴った。そして、40歳を過ぎた頃に直木賞を受賞した訳だ。下積み時代には、昼間のハードな現実世界の生活と夜に甘い恋物語を綴るギャップにひたすらに悩んでいたらしい。プロでも悩むことなのだ。つまりこれは、仕事をしながら書く兼業作家ならば乗り越えるべき壁なのである。


まぁそれだけではなくて、文章を書くときの自己検閲。これが問題。一行書くごとに表現に悩むようになっているのです。文章を書くということは自分と向き合う作業である。無視して進むことはできるけれども、これはいずれ解消しないと書くこと自体が嫌になるなと思ったのです。
読書猿さんで下記のエントリーを見つけた。


「自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために 読書猿Classic: between / beyond readers

書くことは、ほとんど必ず落胆を伴う(仕様だと思っていいくらいだ)。


そのとおりだと思う。書くこと、特に長文を書くことは自分の中のネガティブな言葉との勝負である。一時的な情熱で乗り越えることはできるけど、その文章は熱に浮かされた夜中の恋文の様なものである。冷静な自己分析も必要だ。だが、ネガティブな言葉に捕まれば、いずれ書くこと自体が嫌になる。


なので、その壁を乗り越えると練習法として書き殴る事を挙げている。己の中に浮かぶイメージを全部文章に変えてしまう。タイマーをセットして時間内はひたすらにキーボードを叩く。自己検閲の壁を破壊するために圧倒的な奔流を巻き起こす。


練習法の一つとしてはありかなと思っている。以前も、20分ライティングといって同じようなことをしていた。


だが、重要な事は練習法それ自体ではない。何かを極めるために努力をしていたら必ず壁にぶち当たる。プラトーの壁ってやつだ。これを乗り越えるためにはどうすればいいのか?
僕は圧倒的な努力量で飽和させていたら、いずれは壁は乗り越えられると思っている。無論、手段を変える必要はある。練習メニューを変更するなどして自分を飽きさせない工夫が必要だ。心構えとしては柔軟に目標を諦めない態度が必要であると考えている。


いずれにせよ、文章については少し練習法を変える必要を感じている。


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