超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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闇を抱えて生きるということ。


http://amamako.hateblo.jp/entry/2014/07/06/200543


まさにそうだなとは思ったけど、捕捉されるの嫌だから直リンは避けとこっと。


はてなってのは大人の中二病が許容された世界なんだよね。目立つ活動をしている人たちは何かしらのコンプレックスを抱えているなー、と傍から見て感じる。コンプレックスを燃やして行動することは別に悪いことでは無いけど、直截的にそれを表現するのは一般世間では是とはされない。正しい思想に正しい行動を行う正しい人たちが世の人たちからは認められる。歪んだ考えを持った人でもそれを受け入れやすい形で表現できる人しか受け入れられない。最近だと坂上忍あたりか。ギャンブル依存症でも極度の潔癖症でも、それを上手く表現できるんなら受け入れられるものなんである。


でもって、はてなに住んでいる人たちって、そんなコンプレックスを昇華することが出来ずにどん底で蠢いている人たちなんである。モンマルトルの絵描き達と言ったら美しすぎるか、大正時代の書生達とでも言った感じなんだろうか? とにかく、そんな感じの自意識過剰を拗らせた人たちが住む村がはてな村だ。


2chもそんなコンプレックスをプールする場所であるが、匿名であるが故に汚い言葉を使うことが認められている。はてなではそんな直接的に悪意を表現することを「粋である」とは認めない。煽り、隠喩、パロディ、二次ネタ、ダジャレ。なんでもいいから読む人が面白いと思える表現を使わないと認めてくれない。はてなのトップに立つ人たちは何かしらの芸を極めた人たちである。つまりは、コンプレックスを抱えて拗らせただけではどん底でも目立つことはできない。なにかしらの表現方法を身につけていないと駄目なのです。


あ、ここまで書いて気がついた。はてなも結局、世間とそんなに変わらないということか。はてなではコンプレックスを抱えていることは対して問題とはされないけど、それを上手く表現できないと結局は認められない。僕自身はそこまでして認められたいのか? と思うけど、ネットで活動する人たちの主な欲求は承認欲求である。周りから評価される事に何らかの価値を多かれ少なかれみんな認めているということなんでしょう。闇を抱えた人でもコミュニケーションが上手ければ認められる。ネットでも現実でもそうか。


では、闇を抱えたコミュ症はどうするのか? マイナスの表現で周りに自分の窮地を伝えようとするけど、これはそのうち相手にされなくなる。己の中の毒に侵され続ける事はそのうち狂気に至る。結局のところ、人間は一人では生きていけないんである。どうするべきか?


人を楽しませる芸を極めるか、己の中のコンプレックスと一体化することを諦める。これしか無いかなと思う。


コンプレックスを昇華させて、芸を磨く。これが正道だと思う。悔しさをバネにして一芸を身につける。なんでもいいんである。他人に凄いと言わせるなにかを身につけるのである。これはもしかしたら成功者になれる道かもしれない。
もう一つの方法、コンプレックスを満たすことを諦める。普通の人はこの道をたどるでしょうね。自分の中にあるコンプレックスは、一時的には死ぬかもしれないという渇きを感じさせるが、これは只の気分の問題である。喉元すぎれば何とやらってやつで、歳を食えばいつの間にかどうでも良くなってくるものである。諦めましょう。貴方の苦しみは単なる気分の問題です。


さて、結局、なにを言いたいのか分からなくなってきたよ。結論。人を羨む暇があれば手を動かして勉強しろ。稚拙でもいいからアウトプットしろ。


以上。

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