超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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今時の世の中、何を発信するかより何を語らないかが重要だと思う。

twitterやらFacebookで自分の日常の中で起きたことを簡単に共有できるようになっていますけど、何でもかんでも他人に話すことが善みたいな世の中に息苦しさを感じるのですよ。それこそSNS中毒を起こしている様な人は、常に他人に情報発信し続けている訳でしょ? なんというか、想いを心に留めておく我慢強さみたいなものがなさ過ぎるんじゃないかなと考えてしまう。


衝動的な承認欲求に身を任せて自分のプライベートを切り売りすることが、どんなデメリットを持っているか考えてみることは必要。他人から認められたいと思って奇抜な行動に出て炎上する事例は結構ありますけど、問題はそれだけじゃない。


思っていることを簡単に他人に公開すると、心の内圧が減っていくと思うんです。心の内圧を高めてこそできる努力とか、やれる表現があるような気がするんです。スピーチなどでも心を込めて話すことで心を打つことができる。お手軽な表現で他人の心を揺らすことができるのだろうか?


それと表現することで瑣末な考えでも増大していく事があると思うんですよ。ほんのつまらない雑念でも表現することで、さもそれが自分にとっての重大事だと思えてきてしまうことがある。周りの視線が気になって、下らないと思いながらも興味があるようなポーズを取らされてたりもする。心のなかの柔らかい部分は静かな場所でしか話してくれない。


自分が本当に興味が有ることに向きあうためには、進んで孤独を選ばないといけない時もある。それこそ何も知らない他人に想いを託したりはしない。僕たちはそれぞれの想いを胸にそれぞれの現実を生きていると思う。


みんな何でもかんでもさらけ出している世の中で、自分だけの秘密の裏庭を守るのが贅沢な生き方なのでは無いかとも思うのですけどね。


そんなことを考えた。


裏庭 (新潮文庫)

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